台南市学甲区頂洲国民小学
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台南市学甲区頂洲国民小学 | |
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国公私立の別 | 公立 |
学区 | 台南市学甲区 |
設立年月日 | 1918年 |
学期 | 2 |
所在地 |
726 三慶里8隣頂洲108号 |
公式サイト | https://www.djues.tn.edu.tw/ |
台南市学甲区頂洲国民小学(たいなんしがっこうくちょうしゅうこくみんしょうがく)は、通称頂洲国民小学、台湾台南市学甲区に位置する市立国民小学校である。
概要
[編集]1918年に設立。頂洲小学は八掌渓の南岸に位置し、学校の歴史は清康熙帝40年に遡る。
学甲の僻地に位置していたが、学校が設立される前から、既に私塾があった。
日本統治時代に保甲派出所で設立していた学堂は、将来頂洲小学の基礎になった。
学校が新設していた時に学生数が多くため、時々教室が足りないので隣の保甲派出所を借りて教室と使った。
統一企業の創立者高清愿、蘇益仁と郭秋煌は頂洲小学の卒業生であった。
頂洲小学は地域の伝統文化「鴿笭」をテーマコースに加えて、2005年に全県科学展覧会で「特優賞」と全国の「最優秀賞」を受賞した。[1]
歴史
[編集]1918年3月31日、台湾学甲公学校頂渓洲分校が設立された。
1941年、頂洲国民学校に改名された。また1946年に学甲郷第四国民学校に改名され、そして1947年に学甲郷頂洲国民学校に改名された。
その後、学校は発展し続けていた。1968年8月1日、再び台南県学甲鎮頂洲国民小学に改名された。
歴代校長
[編集]任期順番 | 名前 | 任期 | 備考 |
1 | 伊與部仙松 | 1918年4月—1919年8月 | |
2 | 中尾富二 | 1919年8月—1920年4月 | |
3 | 安樂正道 | 1920年4月—1920年11月 | |
4 | 親川孫太郎 | 1920年11月—1927年3月 | |
5 | 中島潔 | 1927年3月—1929年8月 | |
6 | 富里照 | 1929年8月—1934年4月 | |
7 | 柳厚威天 | 1934年4月—1937年3月 | |
8 | 陳金池 | 1937年3月—1940年3月 | |
9 | 甲本正夫 | 1942年3月—1945年10月 | |
10 | 填淵武 | 1945年10月—1945年11月 | |
11 | 郭連鄉 | 1945年11月—1949年2月 | |
12 | 吳再欣 | 1949年2月—1950年9月 | |
13 | 邵慶源 | 1950年9月—1952年4月 | |
14 | 林註生 | 1952年4月—1956年8月 | |
15 | 王國治 | 1956年8月—1968年1月 | |
16 | 郭阿內 | 1968年1月—1974年8月 | |
17 | 黃鹤巖 | 1974年8月—1982年9月 | |
18 | 陳慶煌 | 1982年9月—1988年8月 | |
19 | 李天河 | 1988年8月—1993年8月 | |
20 | 蘇正一 | 1993年8月—1998年8月 | |
21 | 黃進福 | 1998年8月—2002年8月 | |
22 | 王明凱 | 2002年8月—2020年8月 | |
23 | 賴榮俊 | 2020年8月—2021年8月 | |
24 | 方啓丞 | 2021年8月—今迄 |
学園スペース
[編集]頂洲小学は2021年に古びた校舎を取り壊して再建し、普通教室が6室、音楽、ダンス、絵画教室がそれぞれ2室がある。
校舎は高雄市建築家協会から「2020仁和賞ー学校教育類優秀賞」を受賞した。
脚注
[編集]- ^ “退休校長王明凱返頂洲國小交流 | 中華日報|中華新聞雲” (中国語). 中華新聞雲 / China Daily News (2023年4月21日). 2024年1月5日閲覧。
- ^ “退休校長王明凱返頂洲國小交流 | 中華日報|中華新聞雲” (中国語). 中華新聞雲 / China Daily News (2023年4月21日). 2023年12月21日閲覧。
- ^ 臺南市政府 (2019年1月8日). “臺南市政府全球資訊網”. 臺南市政府. 2023年12月21日閲覧。
- ^ 自由時報電子報 (2021年4月23日). “學甲頂洲國小新校舍有鴿笭等意象 別有「藝思」新地標 - 生活 - 自由時報電子報” (中国語). news.ltn.com.tw. 2023年12月21日閲覧。