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利用者:AIR ISLAND/下書き3

作風

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美しく、叙情的な哀愁のある音楽が特徴[1]。甘美で感傷的なメロディや、明快で効果的なオーケストレーション、親しみやすい民謡素材による旋律やリズムは、多くの人々を虜にするが、表面的であると批判されることが少なくない[2][3][4]。かつての日本では、音楽愛好家や批評家のあいだでは、その音楽の表面的なわかりやすさから、チャイコフスキーを軽蔑する風潮も少なからず存在した[2][5]。聴衆の好き嫌いが分かれる作曲家と言うことができる[6][7]

チャイコフスキーの作風は一般的に「西洋的」あるいは「折衷的」だといわれる[8]。これは、当時ロシアで活躍していた「五人組」と対比させると適切だと考えられ[9]、実際に国民楽派とされる「五人組」と対立していたという考え方がロシア音楽史の常識とされていた[10][11]。しかし、当時のロシアの音楽が「五人組」だけのものだと言い切ることはできず、チャイコフスキーの音楽にもロシアの民俗音楽が浸透していることが指摘されている[8][9][12]。また、彼はロシア最初の職業音楽家であったため、「五人組」を作曲技術面で批判することもあったが、特にバラキレフに対しては深く尊敬しており、彼の指導や助言も仰いだ[8]グリンカに敬服していたことも五人組とチャイコフスキーの共通点である[6][13]。したがって、チャイコフスキーを「五人組」に代表されるロシア国民楽派と本質的に対立していたと言うことは誤りである[6][12]。チャイコフスキーの叙情性をロシアの風土なしに考えることはできない[12]ストラヴィンスキーはチャイコフスキーについて、以下のように述べている。

チャイコフスキーの音楽は誰にでもロシア特有のものと聞こえるわけではありませんが、根本において、絵に描いたようにモスクワ的だという評価を以前から与えられている音楽よりも、しばしばもっとロシア的です。(1912年11月、ロンドン『タイムズ』誌に掲載されたディアギレフ宛の公開書簡から)[14]

ストラヴィンスキーは、チャイコフスキーがドイツ的、通俗的と評されることに反対して、1922年5月、1945年にもチャイコフスキーに賞賛のことばを寄せている[15]。ただ、彼は五人組とちがって、アカデミックな作曲技法の錬磨に努めたこともまた事実である[6]。とくに創作力が停滞した時期は、高度な技法に逃避していることも指摘されている[6]。チャイコフスキーの豪華なオーケストラの使い方は、ストラヴィンスキープロコフィエフショスタコーヴィチなど、ロシアの後継者たちに受け継がれた[16]。ショスタコーヴィチはチャイコフスキーについて、以下のように述べている。

チャイコフスキーの音楽と哲学は私の意識の中に消し難い印象を残した。……私はチャイコフスキーを、とりわけ自身に作品に対する批判的な態度ゆえに、そしてそれと同じくらい、彼が自作の全てにおいて設定した確固たる高い目標のゆえに、評価し、賞嘆する。(1947年『ロシアの交響曲』「チャイコフスキーについて」から)[14]

チャイコフスキーの作品の特徴として、その主題の展開の仕方も挙げられる[17]。チャイコフスキーはソナタ形式の把握に悩んだ[6]。彼の主題は旋律的なので、いわゆる主題展開には適さず、反復されるに過ぎない。そのため、管弦楽的色彩や和声の変化によって主題を展開させた。また、同形反復やペダル音を有効に使うことで感情表出を高めた。過度な表情記号の乱用にもそのことが表れている。ソナタ形式という型にロマン主義的な類型を確立したといえる[6]斎藤秀雄は、「チャイコフスキーの音楽は構成といったらおかしい。順列とか配列とかいった方がはっきりするけど、次から次へと出てくる部分の面白さを生かさなきゃチャイコフスキーじゃない」と述べている[17]

チャイコフスキーの作品が聴衆を意識したものであることも見逃せない事実である[18]。実際、彼がオペラやバレエを数多く作曲したこともそれを表す[18]。自身の音楽的インスピレーション(彼はこれを「霊感」「気まぐれな訪問客」と呼んだ[19][20])から生まれる作品のほか、注文を受けて作曲する作品もあった[21]。この聴衆への意識と、同性愛者としてのコンプレックスの反映としての自己愛が、感情を大袈裟に誇張するメロディを生み出した[6][22][4]。チャイコフスキーの人物像や生い立ちがどのように音楽に表れているか、そして音楽をどう解釈するかということは、研究者のあいだで意見が分かれているが、現在でも彼の音楽は多くの人に愛されている。

参考文献

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  • 森田稔、海老澤敏、寺西春雄、門馬直美ほか『チャイコフスキー』、サントリー株式会社文化事業部、1990年9月15日、ISBN 4-484-90302-4
  • 池辺晋一郎『チャイコフスキーの音符たち 池辺晋一郎の「新チャイコフスキー考」』、音楽之友社、2014年9月30日、ISBN 978-4-276-20068-5
  • 園部四郎『チャイコフスキー 生涯と作品』、音楽之友社、1960年3月15日
  • 亀山郁夫『チャイコフスキーがなぜか好き』、PHP新書、2012年2月29日、ISBN 978-4-569-80333-3
  • 寺西春雄『チャイコフスキー』、音楽之友社、1984年11月20日、ISBN 4-276-22011-4
  • ギー・エリスマン、店村新次訳『不滅の大作曲家 チャイコフスキー』、音楽之友社、1971年8月30日
  • エヴェレット・ヘルム、許光俊訳『大作曲家 チャイコフスキー』、音楽之友社、1993年7月10日、ISBN 4-276-22152-8
  1. ^ 園部(1960)、9頁
  2. ^ a b 寺西(1990)、132頁
  3. ^ 寺西(1984)、133頁
  4. ^ a b ヘルム(1993)、184頁
  5. ^ 池辺(2014)、11頁
  6. ^ a b c d e f g h 森田(1982)、1473頁
  7. ^ エリスマン(1971)、158頁
  8. ^ a b c 森田(1982)、1472頁
  9. ^ a b 寺西(1984)、126頁
  10. ^ 寺西(1990)、128頁
  11. ^ ヘルム(1993)、179頁
  12. ^ a b c 井上(1991)、1108頁
  13. ^ エリスマン(1971)、46頁
  14. ^ a b ヘルム(1993)、197頁
  15. ^ エリスマン(1971)、254頁
  16. ^ エリスマン(1971)、161頁
  17. ^ a b 寺西(1984)、134頁
  18. ^ a b 森田(1990)、120頁
  19. ^ 寺西(1984)、131頁
  20. ^ エリスマン(1971)、151頁
  21. ^ 寺西(1984)、132頁
  22. ^ 亀山(2012)、141頁