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利用者:62haruka/sandbox

校舎の外観

長野市では昭和57年以降に建てられたものを除き耐震のため校舎の耐震工事を行っている。[1]三陽中学校でも耐震工事が行われており、平成31年4月1日時では耐震基準を全校舎が満たしている。耐震工事を行ったのは北校舎西棟。[2]校舎の建て替えによって以前は外観が赤茶色だったが、現在は白を基調とした佇まいになっている。

校名の由来

校名の由来は昭和29年4月1日に旧長野市周辺の10ヵ村(古里・長沼・柳原・若槻・朝陽・浅川・大豆島・小田切・芋井)が長野市に編入された。そのさなかに旧学区の朝陽・大豆島が旧市学区の古牧と合体し、昭和30年4月1日に新設の統合中学校として長野市立三陽中学校は始まった。校名の「三」は朝陽・大豆島・古牧の三学区のことを指し、「陽」はこの当時長野市の最も東に位置していたことから「われわれは長野市の太陽のような子でありたい」[3]という願いが込められている。

三陽中学校ではこの意味以外の意味も持たせている。「三」は「真・善・美」につながるものであり、「知・情・意」にもつながるとした。「陽」は「光であり、希望であり、理想であり」[4]として教育の根幹的な願いとなった。[5]

  1. ^ 学校別耐震診断状況 - 長野市ホームページ”. www.city.nagano.nagano.jp. 2020年1月29日閲覧。
  2. ^ 三陽中学校 - 長野市ホームページ”. www.city.nagano.nagano.jp. 2020年1月29日閲覧。
  3. ^ 長野市立三陽中学校”. www.nagano-ngn.ed.jp. 2020年1月24日閲覧。
  4. ^ 長野市立三陽中学校”. www.nagano-ngn.ed.jp. 2020年1月29日閲覧。
  5. ^ 長野市立三陽中学校”. www.nagano-ngn.ed.jp. 2020年1月24日閲覧。