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柳本 貴生(やなぎもと たかお)1986年7月26日兵庫県神戸市生まれ。日本人の実業家。TEPPEN(Thailand)のCEO。
来歴
[編集]幼少期・学生時代
[編集]1986年兵庫県神戸市に生まれる。父親は建設業を営む不動産会社を経営し裕福な家庭で育った。毎週末家族で外食、旅行に出かけ、生活には何不自由なく過ごしていた。
1995年阪神淡路大震災で被災。震災の影響で父親の経営していた会社が倒産し自己破産。父は仕事を失い、母は離婚し家を出ていく。自宅を手放し、小学校は4回転校、中学時代は芦屋市で過ごす。周りは裕福な家庭の生徒ばかりでクラスでは浮いた存在になっていた。中学高校とラグビー部に所属しレギュラーを勝ち取り、スポーツに打ち込む青春時代となる。
アルバイト時代
[編集]大手チェーンの居酒屋でアルバイトをしていた。スタッフの動線やキッチンの配置、発注の管理システムなど効率化された飲食店の展開モデルに興味を持つようになる。休みの日はチェーン飲食店をめぐり、いかに少ない人数のスタッフで営業をしているか考えながら、飲食店チェーン展開の社長になることを夢見るようになる。そしてお金を稼ぐことに貪欲になり、効率が悪いことや仕事ができないことに対して自他ともに厳しく追い込むようになった。いくつも仕事を掛け持ちしたり、添加物ばかりの食事やエナジードリンクのみだったり、3日おきに睡眠をとるなど無茶な生活習慣が祟り慢性腎臓病になる。今までの自分の在り方を後悔し無気力になっている頃、元気付けようと友人にベトナムへ連れ出される。東南アジアの気候や大地のパワーを感じ、アジア料理の香草や薬草を使ったエネルギッシュな食事にも海外の楽しさを知るようになる。また健康であることがどれほど人生を豊かにするかを身を持って体感することで、食事で幸福度を上げられる、食から世界を幸せにしたいと思うようになり、のちに自社の理念となる。
人生観
[編集]父親の存在
[編集]母がいなくなり、家に帰って父に話を聞いてもらうのは毎日の楽しみだった。父の「おかえり」の声、笑顔で話を聞いてくれる、そんな父が当たり前だと思っていた。ある日突然父が自殺を計った。一命を取り止めたが当時は何が起こったのかわからなかった。のちに父が長年うつ病に悩まされていたことを知った。会社の倒産、母との離婚、自分の存在価値がわからなくなりながらも、3人の息子の前では明るく振る舞おうと必死だった。
命を絶つ直前まで父の苦悩に気がつけず何も力になれなかったことが悔しくて、父を喜ばせたい、父の子として誇らしい生き方をしたいという気持ちがその後に出会う人との関係や仕事への熱意に繋がっていく。
大嶋啓介との出会い
[編集]社長になることを夢見て、経営者の集まるコミュニティに参加したり、ビジネス本を良く読んでいた。そんな中TSUTAYAに並ぶ大嶋啓介の著書に出会う。今まで学んだ収益向上や経営の成功方法とは違い、人間力にフォーカスを当てた内容が気になり、神戸で開かれた大嶋のセミナーに興味本位で父と一緒に参加する。うつ病も患い乗り気ではなかった父がセミナー中に明らかに楽しそうで元気な姿を見て、父を幸せにするきっかけを掴めると確信。そのまま同日の大阪でのセミナーも受講し、5次会まで続いた打ち上げにも参加した。お酒が入っても「日本の未来を明るくしたい」と言い続ける大嶋を見て、株式会社てっぺんへの入社を決意する。
株式会社てっぺん
[編集]入社2年で店長に就任。昨年売上対比120%、12月の過去最高売上などを記録した。店長満期1年を好成績で終えその後も会社に残り、統括部長としてアルバイト教育から店長の輩出までの人材育成を担い、会社の幹部として売上戦略や店舗外収益の採算まで行っていた。また、てっぺん在籍中に様々な研修に参加したり、多業種の経営者と出会うことで多様な価値観と飲食経営のノウハウを学ぶ。海外にいく機会も多く、土地や人のエネルギー、産業の活気を肌で感じ、ジョン・C・マクスウェルやアンソニー・ロビンスの講演、西山知義との対談でこれからの飲食の可能性と世界へチャレンジしたいという思いが膨らみ、何度も事業計画書を作成していた。入社8年目を迎え、てっぺんの海外出店を大嶋啓介に相談するが叶わず、大嶋の弟が創業したTEPPEN Thailand(2013年創業)の更なる発展を任され株式会社てっぺんを退職、タイに渡りTEPPEN ThailandのCEOに就任した(2016年~)。
海外での挑戦
[編集]来泰当初
[編集]・会社のシステムが何もなかったためタイの法律に基づいた就業規則と福利厚生の作成から始まった。
・店長以外の役職がなく給与の金額も定まっていなかった。役職別の責任と業務を明確にし、それに伴った給与制度を設けた。
・文章より絵や映像で理解する現地の感覚と、未来の店舗展開に向けた遠隔管理のために動画マニュアルシステムを導入。
直営店5店舗で本部強化
[編集]・経理部を増員。売上管理だけでなく、建物から食材までの細かい資産登録、抜けのない決算書の提出、計上項目全てを1バーツ単位まで把握できるようにした。
・人事部を強化。従業員の労働環境改善や営業許可申請、外国人ビザ作成と管理を行い、常にタイの労働基準を守れる体制を作った。
・マーケティング部の設立。顧客ターゲットに合わせてプラットフォームを分け戦略的にコンテンツを配信。日系日本食レストランで最多フォロワー数になる。(2022年現在)
・さらに個人のSNSを使って世界へ発信。顧客がどこに魅力を感じているのか、どんな人が興味を持っているのかなどを分析し商品開発を行う。
コロナ到来
・デリバリーの開業。平坦ではない道路とタイの外気温に考慮した商品とパッケージの開発、自宅で楽しめるイベントの打ち出しなどで損益分岐点をキープ。
・ECをテスト開始。ライブ配信で食材の価値を伝えオークション式で顧客が購入を楽しむ。また駐在の日本人に向けてECマーケットで野菜や肉魚などの販売。
・CRM(Customer Relationship Management)部署を立ち上げ、店外でも顧客と繋がるコミュニティを作った。
コロナ後
[編集]・売上を上げることよりも顧客の感動に重きをおいた評価制度を作成し、お客様に喜んでもらえることで売上アップに繋がるマインドの育成を行う。
・クリエイティブチームの結成。ブランド力を高めるためデジタルからオフラインまでのトータルデザインを考案している。
・日本の自治体やサプライヤーと協力し、タイにおける日本産食材のローカライズに取り組んでいる。
略歴
[編集]2016年 来泰1ヶ月で過去最高売り上げを達成。タイの芸能人や富裕層が訪れロイヤルファミリーが来店するほど話題の店になる。
2017年 3店舗目をオープン。
タイでの日本人インフルエンサーとして一番になる。(当時フォロワー2万人程)[1][2]
さらに、てっぺんグループとしてフェイスブックやインスタグラムのフォロワー合計50万人を超えて日系企業で最も多いフォロワー数となる。
2018年 新業態創「焼肉ダイニング」「海鮮丼ぶり専門店」を11月に同時オープン。
2019年 2月海鮮丼ぶり専門店、4月大手グループのタイ人オーナーと初のフランチャイズ店、7・11月焼肉ダイニングを2店舗、およそ1年間で6店舗の新店をオープンした。