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利用者:青子守歌/出典を1つも含まない新規記事のSD可能性について

出典を1つも含まない新規記事のSD可能性について(About creating the new criterion for speedy deletion for new articles which don't have any citations)では、新規作成された標準名前空間におけるページ(以降「記事」と呼ぶ)が出典を1つも含まない場合、その記事を即時削除の対象とすることについて、その背景と実現可能性、およびその影響などを考察します。

背景

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ここでは、現行の方針をおさらいすると共に、 「出典を1つも含まない新規記事の即時削除」という結論がどのようにして得られるのかについて考えます。

方針の確認

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ウィキペディアにおいて即時削除は、削除依頼を出すまでも無く明らかに削除すべきものを簡単に削除するための方針です。 2008年12月現在、Wikipedia:即時削除の方針では、記事における即時削除対象は以下の10種類です。

  1. 意味不明な内容
  2. テスト投稿
  3. 荒らし
  4. 露骨な宣伝広告
  5. 削除依頼により削除されたページとほぼ同じ
  6. 意味のないコピペ記事でその後有意な加筆がない
  7. 文字化けしたページ名をもつ
  8. 記事主題に対する明確な意味づけ(定義づけ)がない
  9. 外部リンクなどだけで、記事の内容がない
  10. 初版投稿者希望

これらのうち、前者7つは全般的に適用されるもの、後者3つは記事に対してのみ適用されるものです。

一方、現在のウィキペディアにおいてはWikipedia:検証可能性が絶対的な方針として存在します。 これは「ウィキペディアに記述される情報は、全て情報源に書かれている内容だけを書くべきで、その情報源は明確に示さなければならない」という方針です。 これはもう少し詳しく以下のようにまとめられています(Wikipedia:検証可能性より引用)

  1. 記事には、信頼できる情報源が公表・出版している内容だけを書くべきです。
  2. 記事に新しい内容を加筆するときは、信頼できる情報源―出典(参考文献)―を明らかにすべきです。出典が明示されていない編集は、誰でも取り除くことができます(出典のない記述は除去されても文句は言えません)。
  3. 出典を示す義務を負うのは、書き加えようとする側であり、除去を求める側ではありません。

また、この方針を補助するため、Wikipedia:出典を明記するが存在しており、出典を必ず付けなければならないことと、具体的な出典の示し方について説明しています。 これらの方針については、既にウィキペディアンに広く受け入れられており、かつ検証可能性は「ウィキペディアというものがどういう特徴を持つのか」という1つのアイデンティティでもあります。それゆえ、これらの内容は絶対的なものであり、細かな運用規定等は別にしても、その内容は変えられないこととなっています。

現行方針下での解釈

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さて、ここで今ここで新しい記事が作成されたとします。 もちろん、この記事においても、検証可能性の方針により、出典が明示されていない記述は誰でも除去することが出来ます[注 1]。 では、もし仮に、この新しい記事が1つの出典も含んでいなかった場合はどうなるでしょうか。 そうすると、記事中のどの記述も出典が明示されていないことになり、よって除去することが出来るようになります。 ということは、記事の内容を全て除去できることになり、残るのは空のページだけになってしまいます。 あるいは、もし「出典を示さなくても明らかである」という情報については出典の明記規定を除外するとしても[注 2]、それらを残したものだけで、百科事典として有意義な説明が可能でしょうか?

もちろん、これは単なる思考実験であり、またかなり極端な例ですので実際に全除去をすることはオススメしません[注 3]。 しかし一方で、現行の方針を正しく解釈すると、このような事が可能になるのも事実です。

となると、出典を1つも含まない新規記事は、全除去してもよく、最初から内容を含んでいない状態であると言えます。 何も内容のない記事は、当然百科事典には必要ありませんから、削除依頼に出すまでも無く削除すべきでしょう。 これが、現行方針下での解釈からの帰結です。

ウィキペディアの目的外利用

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日頃のウィキペディアン達の努力のおかげで、ウィキペディアは有名になり、その信頼性も日々向上しています。 しかし、信頼性が増し、有名になれば有名になるほど、いわゆる「有名税」が負担になってきます。 その1つが、ウィキペディアの目的外利用、つまり「フリーな『百科事典』を作る」という目的以外の目的で記述したりすることです。 例えば、宣伝、応援したいバンドの紹介、友達作り、自分のノートまとめ、新しい発見の公表・・・その他例を挙げればキリがありません(いくつかの例はWikipedia:ウィキペディアは何ではないかに載っています)。 故意にやっていることもあるでしょうし、故意ではなく単にウィキペディアと言うものがどんなものかを理解出来ていないという「無知」からくる事例もあります。

さて、このような目的外利用をしない賢明なウィキペディアンであれば、少なくともWikipedia:検証可能性を一度ぐらいは読んでおり、ウィキペディアでは「出典を示さなければならない」ことを知っているでしょう。 実際に出典を示すかどうかは、その時の事情などと関連するでしょうから、絶対ではないかもしれません。 しかし、少なくとも「出典を示さないことは非常に悪いことだ」ということは分かっているはずです。

つまり、本来の目的に合った記述の多くでは、その記述の出典が示されている(あるいは出典を示そうという意思がある)ことになります。 このまま対偶をとれば、それはすなわち「出典が示されていない(示そうとしない)記述は、目的外利用である場合が多い」となります。

もちろん、検証可能性を知っていて、あえて出典を示しつつ目的外利用をしている場合もあるかもしれません。 しかしその場合であれば、その内容をwikifyして百科事典の記事にする事はそこまで難しくないでしょう。

いずれにしても、「出典が全く示されず作られた記事を排除する」ということは「目的外利用のために作られた記事を排除する」のに大きな役割を果たすことでしょう。 これが、目的外利用に対する対応という観点から見た場合の帰着です。

特筆性のない記事

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特筆性(Notability)とは、「ある記事主題が百科事典で説明するにふさわしいかどうか」を示すものです。 日本語版ウィキペディアにおいてはWikipedia:特筆性がありますが、2008年12月現在ではこれは草案状態であってまだ検討段階にあります。 そのため、日本語版ウィキペディアにおいて「どのようなものが特筆性のあるものか」という明確な方針はありません。

が、特筆性の1つの判断基準として「その記事主題を扱った、その記事主題とは無関係な情報源において一定以上の記述がある事」というものがあります[注 4]。 これはつまり、その記事の特筆性を、その記事を扱った出典の有無、あるいはその量によって判定しようとするものです。 このように特筆性を定義すると、特筆性を持った(i.e.ウィキペディアに載せてよい/載せるべき)記事は、その内容のいくらかには出典が明示されている事が保証されるので、同時に、少なくとも1つ以上の情報について検証可能性も満たすことになります。

さて、このように「その記事主題とは無関係な情報源において一定以上の記述がある」が「特筆性をもつ」と等価である、つまり必要十分条件であるとします。 そうすれば当然「記事主題に無関係な情報源における記述が少ない」なら「特筆性はない」となります。 ということは、前者の条件をより厳しく(狭く)とった「どんな出典もその記事主題に関する記述を持ってない記事群」は「記事主題に無関係な情報源における記述が少ない記事群」の部分集合となりますから、最終的に「出典が1つもない(あることが分からない=示されていない)記事は特筆性がない」と帰着します。

これが、特筆性の観点から見た場合の結論となります。

目的

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以上みてきたように、出典を1つも含まない新規記事を即時削除することは、以下のような目的を達成します。

  • 出典がない記述をすべて除去して、まったく内容のない記事が作られてしまうことを防ぐ
  • 宣伝など目的外利用の一部を除外する
  • 特筆性の全くないものを主題とする記事の一部を除外する
  • ウィキペディアの三大方針である「検証可能性を満たす」記述を増やす

実際の規定

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このような目的を達するため、Wikipedia:即時削除の方針#記事の4つ目に、以下の文言を付け加えます。

4. 200X年YY月DD日[注 5]以降に新規作成された記事で、以下の要件を全て満たすもの。

  • 初版において、明確に出典だと分かるものが1つもないか、あってもWikipedia:出典を明記するに沿った形に修正することが困難な出典しかない
  • 最新版より以前の版において、初版で書かれていた情報に対して何も改善されていない
  • 記事冒頭に{{出典のない記事}}[注 6]が貼られており、貼り付けから1週間経過している
  • {{出典明記のお願い}}[注 7]によって記事の初版作成者に通知されており、貼り付けから1週間経過している

この規定の細則の狙いは以下のようなものです。

まず、#目的にあるように、このSD基準の目的は「~という記事が新しく作られてしまうことを防ぐ」ことが目的です。 そのため、この方針が導入された場合、それ以前に作られた記事はこの方針の対象外として、それ以降の記事作成を防ぎます[注 8]

「最新版より以前の版において」という条件は、いかなる出典であれ、もし何らかの形で出典が「きちんと」示された場合はSD対象から外され、この場合は自動的にノートページでの話し合いや通常の削除依頼に審議の場を移すための規定です。 ただし、「初版で書かれていた情報に対して」という制限は、その出典を必要としているのはあくまで「初版において書かれた情報」であって、それ「以降に追加された情報の出典を示す」ことがSD回避の逃げ道にならないようにするものです。

また、「明確に出典だと分かるものがない」というのは、出典であるのかどうか不明なもの[注 9]は、出典を示していないのと同じ扱いにすることを意味します。 その後ろの「修正することが困難」であるというのは、明らかに情報が不足しているために出典としての要件を満たしていないもの[注 10]を排除するものです。

さらに、2番目と3番目のテンプレートの貼り付けは、記事を削除しないための回避方法をきちんと示すことが目的です。 特に、初版投稿者があまりウィキペディアになれていないユーザのために、このような案内は必須です。 実際にこのような運用は現在、Wikipedia:即時削除#画像/マルチメディアの5においてライセンスおよび出典が不明な画像に対して同様に行なわれています。

もちろん、このような規定は完璧ではありません。完璧ではないので、実際に導入する際には更なる文面の推敲などが必要です。 しかし大切な事は、このような規定はあくまで記事の最低ラインを維持するものであって、この規定に引っかからないからといってその記事がウィキペディアにおいて要求されている記事の水準を満たしていると考えてはいけないことです。 必要な事は「明らかにクロだと分かっているものを取り除く」ことであって「クロとシロの境界線を決める事」ではありません。 クロとシロの境界、いわゆるグレーゾーンは通常の削除依頼等によって慎重に議論をして決断すべきであることを決して忘れないで下さい。

影響

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このような方針を取り込んだ場合にどのようなことが達成されるのかは以上まで出述べてきました。 #目的で述べたものを再掲すると

  • 出典がない記述をすべて除去して、まったく内容のない記事が作られてしまうことを防ぐ
  • 宣伝など目的外利用の一部を除外する
  • 特筆性の全くないものを主題とする記事の一部を除外する
  • ウィキペディアの三大方針である「検証可能性を満たす」記述を増やす

の4つです。これにより結果的に、ウィキペディアにふさわしくない記事のいくつかを排除できることになります。

しかしもちろんメリットがあればデメリットも当然あります。

例えば、記事を削除する事は将来その記事が加筆・改善される可能性をゼロにします。 #実際の規定では、初版作成者やその記事をみている人に1週間の猶予を与えていますが、果たして1週間が十分かどうかには議論の余地があります[注 11]。 また、心理的な面から言えば「せっかくウィキペディアのためと思って時間と努力を使って書かれた文章を消す」ことにもなります。

しかし、実際のところ、このような方針がうまく動くか、はたまた改悪となるのかは、テスト運用などを行なってみてでないと何も確かな事は言えません。 ただ1つ、確かなことは出典を1つも含まない新規記事を即時対象にすれば、何らかの影響が出るということです。

結び

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以下には、執筆者の思いなどが書かれています。参考にはなるかもしれませんが、主観的な意見であること前提でお願いいたします。

今回このような方針について考えたのは、元々#現行方針下での解釈のような思考実験を思いついた事が始まりでした。 最初これに気付いた時は「このようなルールは不完全なのではないか」と思いましたが、そのうち「出典のない記事はそもそもウィキペディアに必要ないのだ」という考えとなり、本方針につながりました。 その後、Wikipedia:特筆性の改名提案などで特筆性について考える機会をもち、また私自身が管理者となる事で即時削除に触れる機会が多くなった事も影響しているといえます。

ウィキペディア日本語版が出来て間もない頃、Wikipedia:検証可能性がまだなかった時代には「どんな内容でもいいから新しい記事を書いて量を増やすこと」が第一だと考えられていたこともありました。 そのおかげで、ウィキペディア日本語版は、その名を知らずとも「インターネット上の百科事典」の代名詞として、今やインターネットユーザの誰もが知る存在になりつつあると私は考えています。 そして現在、たくさんのウィキペディアンの努力の結果、ウィキペディア日本語版の記事数、つまりは内容のの部分はある程度熟成されてきた感があります。

そして、ウィキペディア日本語版はそろそろ記事1つ1つのを高めなければならない段階になったのではないでしょうか。 今回考察した方針は、そのような「1つの記事の品質を高める」、つまりは「ウィキペディア日本語版における記事の最低レベルを引き上げる」ものです。 今までは「出典なんか1つもなくても、検証可能性なんか全く満たしてなくても大丈夫」だったのを「最低限のレベルとして、記事には1つぐらい出典が必要だ」という基準の底上げになるからです。

そしてこれはもちろん、出典(検証可能性)の地位を幾分高める事にもなるでしょう。 何故なら、もしこれが導入された後に新しい記事を書こうと思ったなら、必ず出典と言うものを必要とし、検証可能性について考えなければならないからです。 先述のように、検証可能性とはウィキペディアの三大方針の1つで絶対的なものです。 ウィキペディアが(現在のところ)目指すべき姿では、全ての記事が検証可能性を満たしたものになっていなければなりません。 「検証可能性を満たしたものがどういったものなのか」というメタ的な意味づけはひとまず置いておきますが、少なくとも、ウィキペディアを編集する立場においては、検証可能性をより必要なものとしていかなければならないし、日本語版においてはそういう段階にきているだろうと思います。

別の側面から考えると、管理者不足が叫ばれ、システムのスリム化が求められている現在のjawpにおいて「明らかにクロ」であるものを排除するコストが減るため、「記事の質を維持しつつよりスムーズな運営」を可能にするでしょう。 もちろん、新しい方針を導入する事で、その方針の拡大解釈や乱用が起きるかもしれません。 しかし我々はそれを止める術を持っていることも、決して忘れてはいけません。

現時点においては、私自身はこのような「出典を1つも含まない新規記事を即時削除対象にするという新基準」を導入するために積極的に動くつもりはありません。 しかし、新規記事を白紙化できる可能性を含んでいるなど、現在の状況においていくつかの問題があり、それらは早急に改められなければならないことも事実です。 もし可能であるなら、このような基準を導入する事について更なる推敲を私だけでなく大勢のウィキペディアンで一緒に考えて、願わくば、ウィキペディア日本語版における記事の質の向上にこの文書が少しでも役に立てればと思います。--青子守歌会話/履歴 2009年1月2日 (金) 14:06 (UTC)

注釈

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  1. ^ その情報が事実かどうかは一切関係なく、単純に「出典がない」というだけで除去ができます
  2. ^ 実際にはそのような例外規定は存在しません!!あくまで仮に認めた場合です。
  3. ^ なぜならそれらは大きな対立を招く事になるかもしれないからです。そして、大きな対立はやがて意味のない争いに変わってしまうことが多いのです。
  4. ^ これは実際、Wikipedia:特筆性においてGFDL違反により削除されてしまった版に書かれていました。
  5. ^ 方針が付け加えられた日。それ以前の記事はSD対象から除外としておきます。
  6. ^ 例えば/Template:出典のない記事のようなもの
  7. ^ 例えば/Template:出典明記のお願いのようなもの
  8. ^ もちろん、出典を1つも含まない以前の記事をそのまま受け入れるわけではありません。しかしそれらは即時削除ではなく、ノートページでの話し合いや通常の削除依頼での議論に任せます。
  9. ^ 例えば「外部リンク」などと示されたもの、何の脈絡も無くいきなり書かれた書籍情報など。
  10. ^ 例えば「どこかのテレビで見た」と言った類のもの、同名のタイトルの書籍がいくつかあったり巻があったりしてどれを指しているのか分からないものなど。
  11. ^ ただし「どれぐらいならいいのか」というのは砂山のパラドックスです。

関連項目

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