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概要
[編集]長浜市木之本と大津市瀬田を結ぶ「さざなみ街道」のうち、近江八幡市から大津市にかけてが当該路線である[1]。大津市内では「夕照の道」としても親しまれている[1]。近江大橋以北は自転車歩行者道が整備されているので自転車は走りやすい道路である[2]。
路線状況
[編集]道路の構造
[編集]管理用道路として建設された区間では、湖岸の自然状態を開発以前の状態を維持する狙いで管理用道路を含めた堤防を琵琶湖の汀線から20 - 50 m内陸側に設置した[3]。この堤防本体と琵琶湖の汀線の間のことを「前浜」と称する[3]。こうした構造にすることで、湖岸堤の天端高を低くでき、湖岸の環境を保全することができた[3]。 道路の規格は道路構造令による主要地方道なみの第3種代2級相当とし、堤防部分と管理用道路部分との境界には植樹による分離帯を設けることで交通安全を図った[4]。堤防の法面勾配は両側ともに1:2[5]。道路幅員の基本構成は車道6.5 m、路肩1.5 m、保護路肩0.75 m、歩道2.0 mとした[6]。湖岸寄りに管理用通路を設ける場合は管理用道路の路面から25 cmのマウンドアップした部分に設けられ、幅員3.0 mの通路が設けられた[7]。管理用通路と管理用道路の間は幅員1.5 mの植樹帯が設けられた[7]。
設計速度は屈曲部でやむを得ない区間を除き60 km/hを原則とした[8]。そして、曲線は曲線半径が420 mを超える区間が大半であったためクロソイド曲線ではなく単曲線が原則として用いられた[8]。また、片勾配はこの路線が堤防という観点から高さの確保が必要であり、6%を超える片勾配は設置されなかった[8]。
湖岸堤や管理用道路を設置するにあたってヨシ地帯を通過する区間もあったため、ヨシ地帯の再生も行われた[9]。
1983年(昭和58年)に道路構造令が改正され、この改正によって主要な交差点には右折専用車線の設置が必要となった[10]。守山市から大津市までの区間については、1983年に行われた県道接続計画の協議では県道として乗り入れる計画がある5路線との交差点に右折車線を設置するよう、水資源開発公団に対して要望を行った[11]。また、守山市・草津市・大津市と協議を進める過程で、3市の幹線市道4路線との交差点にも右折車線を設置することになった[11]。
管理用通路を通行するバイクによって事故が相次いだため、1986年からは鎖をかけて通行止めになっていた[12]。しかし、アウトドアブームによって湖岸の利用者も増えて開放の声が高まり、1997年6月には滋賀県と水資源開発公団との協議で開放を合意[12]。そして、1997年(平成9年)12月24日には中主町(当時)から大津市までの22.3 kmの区間の管理用通路が自転車・歩行者専用道路として一般に開放された。湖岸道路上の残る区間も転落防止柵や標識などの整備を行い順次開放された[12]。
草津市北山田での調査結果により、湖岸道路の交通量や車両の速度が歩行者の横断を妨げ、沿線地域と琵琶湖とのつながりを希薄と指摘されている[13]。また、ヨシ原にあった獣道を横切る形で湖岸道路が建設されたためにタヌキが自動車と衝突する事故が発生している[14]。湖岸道路ができたことで若者たちがレジャー目的で琵琶湖に行きやすくなったが、そのような中でボートや釣りの規制が条例化されて取締が行われるようになった[14]。
橋梁
[編集]湖岸堤の管理用道路として施工された区間では外水河川を横断するための橋梁と水門に併設された橋梁が設置されている[15]。ここでは橋長が100 m以上のものを列挙する(出典は[16])
- 日野川大橋 - 橋長284.5 m、鋼単純合成鈑桁
- 中州大橋 - 橋長326.3 m、鋼3径間連続非合成板桁
- 帰帆北橋 - 橋長428.4 m、鋼単純合成板桁
- 帰帆南橋 - 橋長255.0 m、PCポステン単純T桁
道の駅
[編集]守山市でビワイチの拠点にもなる道の駅(サイクリング拠点併設道の駅)を設置する構想がある[17]。
接続道路
[編集]- 滋賀県道26号大津守山近江八幡線
- 滋賀県道519号菖蒲線
- 滋賀県道601号守山大津志賀自転車道線
- 国道477号
- 滋賀県道147号赤野井守山線
- 滋賀県道31号栗東志那中線
- 滋賀県道18号大津草津線
- 滋賀県道2号大津能登川長浜線
- 滋賀県道29号瀬田大石東線
沿線
[編集]近江八幡市から琵琶湖大橋取り付け部まで
[編集]近江八幡市内
[編集]岡山地区では旧岡山城の文化財や足利義澄や足利義晴の屋形跡が発掘され、さらに掘削工事で横穴式石室が発見され道路の設計が変更された[18]。元は管理用道路の法線が岡山で一段低い部分で切土する形で道路を通す計画であった[18]。計画変更の結果、勾配はなるべく緩く抑える方針で計画したが当初の5%から6%に変更となり、縦断勾配付きの曲線のS字カーブの線形であるため見通しが悪くなった[18]。また、岡山の南側に高さ4.3 mのコンクリート擁壁を設置することで、屋形跡を保存した[19]。さらに横穴式石室は発掘された4基のうち、2基はそのまま保存し、残りの2基は屋形跡の隣に移設して保存した[20]。
岡山地区の南側である出在家工区では内陸側の圃場整備計画に考慮し、最大限頬表を確保できるよう湖岸堤が汀線に沿った線形になった[20]。新田工区では大同川内水排除施設の設置位置の調整が遅れたため、やむを得ず旧堤防に前腹付けする形で法線が決定した[20]。白王工区では汀線沿いの旧堤防に後腹付けする形で法線が決定された[20]。
新畑地区では旧日野川の三角州の湿地帯で所有権をめぐって国と所有者の間で1974年(昭和49年)3月に訴訟があったため用地買収が遅れたが、1983年(昭和58年)1月に決着が付いた[21]。この翌年から日野川を渡川する日野川橋梁の建設に着手した[22]。
佐波江地区では日野川の左岸に広範囲の松林があり、その前面に水泳場があるため、この地理状況に配慮して法線が決定された[23]。
安治地区では建設省から公団に継承する前に内陸の圃場整備が完了していたため、前浜護岸もあり、これを前浜として利用し湖岸堤・管理用道路の建設が行われた[24]。
川尻から菖蒲にかけては当初案は100-300 m内陸側に道路を建設する予定であり、その後公団案として3ルートの建設が比較検討されたが調整が付かなかった[25]。その後、地元や関係機関との協議により「松林の比較的粗らな部分を通過する」「民家およびハマゴウ密集地を避ける」「地盤の高いところを選定し、できる限り必要な用地の幅を狭くする」の3点を考慮して現在のルートに決まった[26]。
野洲川の北には「鮎家の郷」があり、夏場はキャンプ場でにぎわう[2]。
守山市内
[編集]野洲川付近の野洲市吉川から守山市今浜にかけては野洲川改修事業との共同施工が行われ、野洲川改修事業で発生した掘削土を埋め立て地に用い、この埋め立て地の琵琶湖側に湖岸堤・管理用道路が建設された[25]。野洲川を渡川する橋梁の中洲大橋は1978年(昭和53年)3月から1979年(昭和54年)10月にかけて建設された[24]。
美崎町地区では琵琶湖大橋やホテル・旅館などに考慮して湖岸堤と管理用道路を分離する形で建設された[27]。なぎさ公園から琵琶湖大橋東詰までは野洲郡開発事業団によって4地区に分けて造成が行われ、事業の進捗に応じて建設されていった[28]。1967年(昭和42年)から1970年(昭和45年)にかけて順次供用開始した[29]。現在では大型ショッピングモールやリゾートマンションが建設されている[2]。
北(近江八幡側)から南(大津側)にかけての県道(現在の国道477号)との交差部は「イ:既存の道路を利用して管理用道路(当該路線)をクランク状に接続させる」「ロ:管理用道路が県道をオーバーパスする」「ハ:現道から出る道路を新設し、県道と平面交差させる」の3案が出たが、ハ案を採用した[25]。
琵琶湖大橋取り付け部から大津市大萱まで
[編集]守山市内
[編集]1962年(昭和37年)から1967年(昭和42年)にかけて木浜湖岸埋立工事が行われ、琵琶湖大橋東側から木浜埋立地の南端まで埋立地の湖岸線に沿って湖岸道路が造成された[30]。この沿線には桜や柳などの樹木が植栽された[30]。これより南側の大津市までは1992年(平成4年)にさざなみ街道として開通することになる[30]。
守山市木浜町から草津市新浜町までの区間は、建設までに2回ルートが変更されている[31]。1973年(昭和48年)の「当初案ルート」ではかなり琵琶湖の内部に湖岸堤・管理用道路を通すことになり、湖岸堤背後地には広大な残存水面が出現する計画だった[32]。背後地には南湖浚渫計画による大量の土砂を処分する予定であったが1978年(昭和53年)の浚渫計画の変更に伴い1980年(昭和55年)11月に木浜町から烏丸半島にかけてを内陸部を通過する「公団案ルート」が策定された[31]。そして、この「公団案ルート」に対して滋賀県の意向を基に1982年(昭和57年)3月に県が公団へ要請した「修正案ルート」が作られ、最終的にこのルートで建設された[33]。
木浜地区は「木浜埋立地」として滋賀県総合開発計画の一環として1962年(昭和37年)から1965年(昭和40年)に琵琶湖を埋め立てた区間であり、1965年(昭和40年)9月に埋立本体の工事が完了してから道路の建設が行われた[34]。
赤野井地区では農地を潰さないように計画された[35]。特に、赤野井地区の北側では農地を湖岸堤と管理用道路に転用することに対して地元から強い反対があり、干拓堤の湖側で湖岸堤が収まる法線とし、北側で湖岸堤が木浜の埋め立て地へ取り付ける法線とした[35]。
草津市内
[編集]下物地区では当初の計画でははるか沖側に湖岸堤と管理用道路を建設する予定だったが、計画の見直しによって陸側に建設された[35]。この地区では矢橋帰帆島の前例より公共事業があればいつでも琵琶湖を埋め立てられるという意識があり、琵琶湖を埋め立ててその上を通すよう強く要望を出していたため、地元住民と公団の間で合意形成を得られるのに時間がかかった[36]。
津田江では大規模な浚渫が必要となる陸地を経由するルートを避け、開口部を水門とすることで水質を保全し水位を保持することとした[37]。
津田江地区から志那地区にかけては農地を残すためにほぼ汀線沿いの線形とし、ヨシ帯を残すために消波小段構造の護岸とした[37]。
志那地区では地元住民の要望により漁港施設を沖に移転し、それより陸側に道路が建設された[38]。元来より集落が湖岸に沿ってあったため、集落より陸側に湖岸堤と道路を設置することは困難であった[38]。
下笠から北山田漁港までは周辺は集落がなかったが、農業が盛んなところであり地元要望から農地にかからないように汀線沿いを通過する法線となった[39]。ただし、旧草津川河口部ではでは農地の一部がかかってしまったたため、なるべく農地を潰さないように河口部をできるかぎり琵琶湖側にシフトし、道路も曲率半径が小さな曲線となっている[40]。北山田では関係者17名が河川管理者から占用許可を受けてビニールハウスによる営農を行っていたが、用地買収に当たって他の農地と比べて謙遜がないとして私有地並みの補償を要求した[41]。そのため、占用権利消滅補償が行われ、また造成費や用排水施設の設置経費がビニールハウスの移転費とともに補償された[41]。
南山田では汀線に沿った法線とすることで水田を潰さないようにした[42]。この地区は地図混乱地域であったため、公団が関係者7名・10筆の土地を一括で取得して合筆し、その後に残地を分筆する形で登記した[43]。
矢橋帰帆島は下水道浄化センターを設置するために築造された人工島であり、この島の湖側に湖岸堤・管理用道路が設置された[44]。湖岸道路側から矢橋帰帆島公園に入ることができず、一度内陸部に迂回してから矢橋大橋を経由しなければならない[45]。
新浜地区では前浜・湖岸堤および管理用道路の用地として京都にある染物会社の工場建設予定地の一部も買収し、当時は繊維産業の不況により土地の売却に積極的な姿勢を見せたものの残地を含めた買収を固執したために公団が第三者への売却斡旋を行った[46]。
近江大橋(滋賀県道18号大津草津線)との交差部分では管理用道路の本来の計画高では道路を建設できないので、橋の桁下余裕高が取れるまで路面高を下げて立体交差として建設された[47]。その結果、周囲の地盤より相当低くなるため、最も低い部分には排水設備を設けられた[47]。立体交差による建設が決定されるまでは、管理用道路や歩道のみをアンダーパスとし、管理用道路のみを平面交差とする案なども考えられた[48]。現在では当路線から近江大橋に直接上がることができる[49]。この地区周辺では将来の発展を見越した土地取引が多く、単価交渉を開始した1978年(昭和53年)では土地価格は上昇傾向であった[50]。
大津市内
[編集]長沢川付近では迂回路を設置しながら道路新設が行われたため借地が多く、用地買収の交渉に時間を要した[36]。
大津市を通過する区間の沿線である玉野浦や萱野浦の地区は滋賀県開発公社がびわ湖南部用地開発の一環で1964年(昭和39年)に埋め立てた区域であり、1990年前後から内陸側に住宅街やレストラン、ショッピングセンターなどが急速に増えている[51][52]。琵琶湖と道路に沿って緑地帯が設けられた[51]。そのほか、県立琵琶湖漕艇場付近には高校や大学のボート部の艇庫が立ち並ぶ[52]。
埋め立てた区域より南側で東海道本線(琵琶湖線)を経て瀬田唐橋の東詰に至る。東海道本線との交差部は北側の埋め立て工事の関連工事として1963年(昭和38年)11月から1964年(昭和39年)7月にかけて施工された[53]。それより南側800 mの区間は当時「II・2・6号線」として1960年(昭和35年)度に着工・完成した工事であり、幅員12 mで沿道にはテニスコートやバレーコート、プールを併設した唐橋公園が建設された[54]。交通量が多いが、それに対して道路幅が十分でないため自転車で通過するならば注意が必要[49]。
萱野浦から終点の瀬田唐橋の東詰を経て南郷洗堰に至る県道・市道を合わせて1989年に「夕照の道」と名付けられている[52]。
沿革
[編集]この道路が開通するまでは滋賀県道26号大津守山近江八幡線(浜街道)があっただけであり、「湖周道路」としての湖岸堤・管理用道路は地域によって重要である[55]。
この路線の多くの区間は琵琶湖総合開発計画での琵琶湖湖岸の治水を目的とした湖岸堤に対する管理用道路として建設されたものである[56]。この管理用道路は水資源公団が建設し、竣工後は逐次市町村に管理を委ねられた[4]。琵琶湖総合開発計画事業が終了した後は滋賀県が県道として管理することが当初から計画されていた[4]。 1976年(昭和51年)には琵琶湖総合開発工事差し止め請求事件では原告は琵琶湖総合開発によって琵琶湖の環境が破壊されることを主張し、殊に管理用道路については自動車の排気ガスや観光客・観光施設による雑排水による琵琶湖の水質悪化が懸念されることを主張した[57]。この裁判は1989年(平成元年)3月8日に原告請求を棄却する判決が下され、原告が控訴しなかったことにより、判決は確定した[58]。
近江八幡市内では市道「湖岸堤道路線」として滋賀県道26号大津守山近江八幡線との交差点を起点に認定された[59]。草津市内では市道「草津湖岸線」として1991年(平成3年)12月20日に認定され、1992年(平成2年)1月30日に供用開始した[60]。
琵琶湖総合開発事業による管理用道路は1992年(平成4年)1月に全て開通し、そのうちの近江八幡市と大津市を区間は暫定的に管理していた沿線自治体から滋賀県に移管された[61]。
- 1960年(昭和35年)度:瀬田町によって東海道本線交差部から唐橋東詰まで建設される[54]。
- 1964年(昭和39年)7月:埋立地から東海道本線交差部までが完成[53]。
- 1975年(昭和50年)4月15日 : 守山市小浜町 - 同市幸津川町の延長1,518 mが供用開始[62]
- 1979年(昭和54年)度 : 野洲川放水路をまたぐ中洲大橋(延長326 m)が完成[63]
- 1984年(昭和59年)度 : 帰帆島南側に架かる帰帆南橋(延長256 m)が完成[64]
- 1992年(平成4年)1月30日 : 守山市 - 大津市の約15 kmの区間が完成し、これで湖岸堤や管理用道路が全区間で竣工した[65]
- 1993年(平成5年)6月11日 : 滋賀県道559号近江八幡大津線として認定され、暫定的に管理していた市町村から滋賀県に移管される[66][61]
- 1996年(平成8年)2月16日:当路線の起点から大津市大萱までの愛称が「さざなみ街道」に決定[67]
- 2008年(平成20年)1月21日 : 大津市萱野浦 - 同市玉野浦の1,027 mの区間で現道拡幅が完成[68]
- 2019年(令和元年)5月8日:大津市大萱6丁目交差点で乗用車2台が絡む事故により、保育園児2人が死亡する事故が発生[69]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b “絶景ドライブルート びわ湖東岸を南北に走る快適ロード 滋賀県草津市”. トヨタ自動車. 2020年5月10日閲覧。
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- ^ 近畿地方整備建設局琵琶湖工事事務所・水資源開発公団琵琶湖開発事業建設部 1993, p. 72.
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- ^ a b 近畿地方整備建設局琵琶湖工事事務所・水資源開発公団琵琶湖開発事業建設部 1993, p. 83.
- ^ a b c 近畿地方整備建設局琵琶湖工事事務所・水資源開発公団琵琶湖開発事業建設部 1993, p. 84.
- ^ 水資源開発公団琵琶湖開発事業建設部 1993, p. 45.
- ^ 近畿地方整備建設局琵琶湖工事事務所・水資源開発公団琵琶湖開発事業建設部 1993, p. 191.
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- ^ a b 守山市誌編さん委員会 2006, p. 707.
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参考文献
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- 守山市誌編さん委員会『守山市誌 歴史編』守山市、2006年3月31日。
- 全日本建設技術協会滋賀県支部滋賀県建設技術協会, [全日本建設技術協会滋賀県支部] 滋賀県特別会員支会 編『滋賀県土木百年表 続編 (昭和47年度-平成24年度)』全日本建設技術協会滋賀県支部滋賀県建設技術協会、2013年3月。全国書誌番号:22226621。
- 輪の国びわ湖推進協議会『ビワイチ公式ガイド ちずたび びわ湖一周 自転車 BOOK 』西日本出版社、2016年6月23日。ISBN 978-4-908443-08-4。