利用者:赤の旋律/下書き/シュライヒャー
アウグスト・シュライヒャー(August Schleicher, 1821年2月19日 マイニンゲン - 1868年12月6日 イェーナ[1])はドイツの言語学者。印欧語族の比較文法を大成し、以後の言語学に大きな影響を残した。
人物
[編集]初め神学を学んだが、ヘーゲル哲学の影響で古典文献学、印欧語学(特にスラヴ語学)に転向しボン大学で学位を得た[2][1]。スラブ語研究が評価されてカレル大学に招かれ、バルト語研究を始めとして多くの研究を行ったが、政治的・宗教的な対立のためイェーナ大学に移り、1868年に47歳で没した。[3][4]
以下は未検証。
1850年に総説Die Sprachen Europas in systematischer Übersicht(ヨーロッパ諸言語の体系的概観)をまとめた。彼はここでゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルからの強い影響のもとに、言語は段階的に発展・成熟・崩壊する有機体であるという理論を唱えた。また屈折語・膠着語・孤立語の3類型を確立し、これらの関係も彼の理論の枠組で考えた。彼は言語を生物になぞらえるのが適切であるとし、競争を経て変化していくものであるとした。これはチャールズ・ダーウィンによる進化論の提唱に数年先立つが、進化論の影響ではなくロマン主義やドイツ観念論に基づくものと思われる。むしろ進化論の方が当時の言語学思潮をアナロジーとして利用したとの考えもある。
シュライヒャーは、1853年からプラハ大学で比較言語学の教授を務めた。1857年からはイェーナ大学で哲学の学部の教授を務めた。1853年には言語を生物と同じように分類し、さらにそれを配列して系統樹として表現した(これもエルンスト・ヘッケルによる生物系統樹より早い)。のちにイェーナ大学の同僚となったヘッケルとも議論を交わしている。
シュライヒャーの考えには独断的な部分も多いが、系統樹説は以後の印欧語研究に決定的な影響を与え、現代まで続く比較言語学の基本的な考えとなっている。また印欧祖語の再構を試み、推定した祖語を用いて寓話を記した。
47歳で結核のため亡くなった。
関連項目
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 神山, 孝夫 (2006), 印欧祖語の母音組織 -研究史要説と試論, 岡山: 大学教育出版, ISBN 4-88730-718-7
- 風間, 喜代三 (1978), 言語学の誕生 -比較言語学小史-, 東京: 岩波書店