利用者:花子と太郎/sandbox
朝日会館 | |
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新築記念当時の絵葉書 | |
情報 | |
用途 | 映画上映、劇場、展示場 |
構造設計者 | 不詳 |
施工 | 竹中工務店 |
事業主体 | 朝日新聞社 |
管理運営 | 社団法人朝日新聞社会事業団 |
階数 | 地上6階、地下1階 |
所在地 |
〒530-0005 大阪府大阪市北区中之島 |
朝日会館はかつて大阪の中之島に存在した文化施設である[1]。経営母体は大阪朝日新聞社で、映画上映、コンサート、演劇上演、美術品展示といったさまざまな用途に使われ、戦前から戦後にかけて、関西の文化活動の中心地のひとつであった。
概要
[編集]朝日会館は、1931年に竹中工務店の施工で大阪の中之島に建設された。1962年に閉館した跡地に建設されたのが現在のフェスティバルホールである。大阪以外に京都や神戸、名古屋にも、のちに朝日会館が建設された[1]。
朝日会館での催し
[編集]音楽
[編集]朝日会館では、海外から招へいした音楽家による演奏会が行われた。藤原歌劇団や宝塚交響楽団の公演も行われた[2]。
映画
[編集]「映画―ベント」と呼ばれた上映会は、朝日会館の集客の目玉であった[3]。
演劇
[編集]関西の劇団だけでなく、東京の劇団も来演した。翻訳劇のほか、戦時下にも新劇の上演が多く行われた[4]。
美術
[編集]文学
[編集]機関紙『会館芸術』
[編集]朝日会館では、1931年から1953年まで、機関誌が発行された(全222冊)[5]。創刊号の特集は、舞踊家の伊藤道郎(イトウ・ミチオ)と声楽家のトティ・ダル・モンテであった。当初は朝日会館の催しのパンフレットの機能が強かったが、1933年7月に月刊化され、評論や小説が掲載されるなど、読み物としての側面が強くなった。
『会館芸術』
[編集]『大阪文化』
[編集]『厚生文化』
[編集]『~月の朝日会館』
[編集]戦後の『会館芸術』
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ “朝日会館および『会館芸術』について”. 朝日会館・会館芸術研究会. 2017年11月12日閲覧。
参考文献
[編集]朝日新聞社社史編集室編『朝日會舘史』朝日新聞社、未刊行 坪内祐三『まぼろしの大阪』ぴあ、2004年 なつかしの大阪朝日会館編集グループ『なつかしの大阪朝日会館―加納正良のコレクション』LEVEL、2004年 朝日会館・会館芸術研究会ホームページ http://fusehime.c.u-tokyo.ac.jp/gottschewski/kaikan/ 長木誠司、ヘルマン・ゴチェフスキ、前島志保監修『会館芸術』ゆまに書房、2016~2017年。