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利用者:石川民雄

短詩形文学からウィトゲンシュタインへ変身中。 よろしく。

 あれから(確か「大西民子」を為っていたのは10年程前の2005年頃だ)長い年月が過ぎた。 ウィトゲンシュタインから転じてカントに熱中し宮澤賢治の『春と修羅』序の中にカントを発 見した。その結果出来たのが拙著『カントで読み解く『春と修羅』序の世界』だった。 今はそのカントの主導的概念だった「アプリオリな総合判断」が短詩型文学就中俳句の本質を なすことの論文を書くことが目下の課題となった。主調は「直観によって現象の多様が与えられ悟性がこれを思惟する」だ。 できあがっているのだが書かないだけだ・・・。(2016.7.24記) その論文だが「俳句短歌の知性的主語感性的述語ー田江岑子の短歌によせてー」のテーマで完成したのは昨年春 (2017年4月)であった。ライプニッツの「すべての述語は主語のうちにすでに含まれている」がその基調である。 作者の現実世界における「理性の真理」と「事実の真理」との無限の相克がきりもない無数の短歌を詠む原因だ。 (これ書いても岩手には解る評者がいない。従って発表する場所がない)。そのうちWebに書こう。(2018.4.11記)

 ついに書いた。下記だ。

https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R2JOBXK9ROH67W/ref=cm_cr_arp_d_viewpnt?ie=UTF8&ASIN=B084Q3SJZ2#R2JOBXK9ROH67W


2023年3月29日

ついに宮沢賢治の『春と修羅』序を完全に解読した。感無量である。

全体は下記ブログ。

 『春と修羅』序読釈

   ー序はカント哲学のパッチワークだったー

 記事一覧 - goo blog 

http://blog.goo.ne.jp/admin/entries

http://ameblo.jp/kaisizu2019/


概要は下記のとうり・・・。

一、前書

 本年(2023年)は宮沢賢治の没後90年、来年4月には詩集『春と修羅』発刊100年を迎える。この詩集の冒頭の心象風な序詩は、抽象的で難解であるとされ、膨大な賢治論料の中で臆面もなく素通りされてきた。現在は閉館中である盛岡市立図書館の郷土関係図書室の宮沢賢治コーナーは、6段の書棚が壁の2面にまたがって、一千冊を超える蔵書を有していたが、この書棚の中を丹念に「春と修羅・序」関連の文献を探してみると驚くほど少ない。20冊にも満たないのである。

 いわゆる専門的な賢治研究者らの仏教的な論及も観念的、主観的で、この理路の当否を含め詩集の序として正鵠を射た解釈はないままで今日にいたっている。序の六つの心内語(()書きの詩句)の解釈さえ定説がなく、殆どの解釈が断片的で、どれひとつとして序詩の通釈としての体裁をなしていない。

 その心内語である第一連の「あらゆる透明な幽霊の複合体」、第四連の「因果の時空的制約のもとに」などを直観的に説明できる論理は「現象」と「物自体」という二元論的なカント哲学しかない。その立証が第三連に明らかな本体論(形而上学)=風物として見ている賢治自身の視点だ。こここそ当にはからずも露見した賢治の心内語なのだ。

 本論は心内語と五連の全節について、論理と図式を駆使し、序は大西祝の『西洋哲学史』(明治37年1月、警醒社書店)下巻の「カント」を敷衍したカント哲学のパッチワークであるとして、序詩全体を読釈した斬新で核心的、且つ論理的な論攷である。

 なぜカントなのかについては前著『『春と修羅』序試論』で詳述したので、ここでは要点だけを簡単に再掲しておく。

①『春と修羅』出版の大正13(1924)年はカント生誕200年でその前後、岩波書店を始め大変なカント書の出版ブームだった。

②その前年の大正12年(1923)4月から「岩手毎日新聞」(当時)に高農教授の玉置邁氏と賢治の童話が殆ど一年中、同時に何度も紙上を賑わした。玉置邁氏とは賢治がストラビンスキーの「火の鳥」のレコードを献呈したという高農の恩師である。(『宮沢賢治の音楽』佐藤泰平著、巻末を参照)。

③玉置氏(当時43才)は西欧の美学、カント哲学などの学究であり、当時の「岩手毎日新聞」の主筆は岡山不衣(38才)であった。この三人(賢治27才)が一年中、西欧文明の美学や哲学、イーハトーブ童話などで紙面を盛りたてた。そして最後に大正12年年末の12月26日から翌大正13年正月5日に全5回の「哲学小景」の連載が終わった。

④賢治は勇躍『春と修羅』の序を、かねて読了していた大西祝の『西洋哲学史』の「カント」を敷衍して書き下ろした。それが序詩の最終行、大正十三年一月廿日 宮澤賢治の署名である。弟妹たちに朗々と読み聞かせ「この序文には相当の自信がある。これは後で識者に見られても恥ずかしいものではない」(『兄のトランク』宮沢清六)と気焔を上げて見得を切り、上機嫌でニンマリしたという。斯くして『春と修羅』もカント書の一冊としてカント生誕200年の4月に出版をみた。来年の2024年は当然ながらカント生誕300年に当たる。