利用者:目蒲東急之介/試作品/阪神ダイヤ改正
阪神ダイヤ改正(はんしんダイヤかいせい)とは、歴代の阪神電気鉄道のダイヤ改正の内、判明分に付いてのみ記述する。
尚軽微な改正や修正程度のもの、実施されたかが不明確である改正に付いては記述を割愛している。また国道線関連のダイヤ改正は資料不足もあり、判明分のみを記述する。
開業から昭和初期までのダイヤ改正
[編集]昭和中期から昭和後期までのダイヤ改正
[編集]1954年9月15日改正
[編集]1960年9月改正
[編集]1963年2月改正
[編集]1963年12月改正
[編集]1965年9月15日改正
[編集]この改正では、本線と西大阪線とを直通する特急列車が設定された。この列車の種別は「西大阪特急」となった。
休日ダイヤでは不定期列車が運行する場合は昼間時でも片道1時間当たり25本の列車を運行すると言うラッシュ時並の運転本数となった。このため赤胴車だけでは優等列車運用を賄うことができず、ジェットカーの準急も設定されるようになった。ただしジェットカーの準急運用は不定期列車が運行する時のみであった。
1968年4月7日改正
[編集]本改正では神戸高速鉄道線が開通し、同線を経て山陽電気鉄道本線への乗り入れが開始され、特急列車の運転形態は大幅に変わった。
ジェットカーの準急がこの改正で廃止された。
1974年3月17日改正
[編集]1974年12月1日改正
[編集]1968年の改正以降、小規模な改正や修正を繰り返していたが、この改正では久々に規模の大きいものとなった。
西大阪特急が廃止され、本線と西大阪線との直通列車は一旦廃止された。また同列車の廃止により特急系の列車の尼崎への停車が無くなった(この当時の本線特急は同駅を通過)。
1977年4月改正
[編集]この改正は小規模に留まったが、前回の改正での西大阪特急廃止及び一部区間の高架化工事の完成によりスピードアップが可能となったので特急は梅田 - 元町間で1分短縮した。
1981年12月4日改正
[編集]この改正では阪神では久方振りの新規の列車種別として、区間特急の運転を開始した。区間特急は芦屋8時15分発梅田行で運行し、途中停車駅は西宮、甲子園であった。芦屋発を設定したのは同市内のシーサイドタウンの入居者の着席確保が目的であった。なお芦屋では折り返し設備が無い為、この列車は石屋川車庫より芦屋まで回送列車として運転し、芦屋から区間特急となるものであった。
1982年4月改正
[編集]1987年12月13日改正
[編集]この改正では、折返し線はあるものの引き上げ線の無い元町での折返しによる本線支障時間の増大の関係から、普通列車の運行形態が久方ぶりに変更され、夕方ラッシュ時のみであるが、元町以西の神戸高速鉄道に初めて乗り入れた。またJR西日本への対抗から、快速急行を終日にわたって運転することとなり、昼間時を中心に阪神間での直行列車の運転本数を大幅に増やし、特急と快速急行とを梅田・三宮ともに昼間時は1時間当たり5本ずつの10本を運行することとなった。ただしこの改正で上りの青木停車は廃止された(通過に変更)。
その他にも区間特急が三宮発に延長され、西宮を通過することとなった。
平成以後のダイヤ改正
[編集]1991年4月7日改正
[編集]1995年6月26日改正
[編集]1995年8月13日改正
[編集]1996年3月20日改正
[編集]1998年2月15日改正
[編集]2001年3月10日改正
[編集]2006年10月28日改正
[編集]2009年3月20日改正
[編集]計画されていたダイヤ改正
[編集]1995年3月に予定されていたダイヤ改正
[編集]曲線通過速度の向上試験も終了し、特急・快速急行の大半がこの時期に増備されていた8000系で運行出来る様になった1995年3月に特急と快速急行で1分程度の速度向上を計画していたが、以下の阪神・淡路大震災による被害でこの計画は中止された。
参考 阪神・淡路大震災時のダイヤの変遷
[編集]1995年1月17日午前5時46分に発生した阪神・淡路大震災(正式名称は兵庫県南部地震)により阪神電気鉄道の地上構造物は御影-岩屋間を筆頭に壊滅的な被害が各所で発生し、地震発生と同時に全路線の列車の運行を同日終日取り止めた。又これによる車両の被害も全体の約4割の126両発生し、被災車両の大半は尼崎工場や、大阪市西淀川区に位置する中島工業団地内に急遽用意された被災車両の一時仮置場ともなった空地に一旦回送の上で後日復旧したが、復旧が困難な41両に付いては廃車となった。これにより車両に不足が生じた事や神戸市内の大半が不通となった為全線が復旧する同年8月13日ダイヤ改正まで以下の方法で運行する事となった。その後も石屋川車庫が復旧中であった事、被災した車両の復旧及び新造、又路線の復旧を最優先する為閉塞区間が暫定的に従来より長くなっていた事もあり、1996年3月20日ダイヤ改正までラッシュ時の一部列車を削減して対処していた(大震災以前のダイヤと1995年の2度の改正との比較)。