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津田健一
日本の作曲家、会社員
津田健一(つだけんいち、1978年12月31日-)は日本の作曲家、会社員。
福井県小浜市出身。血液型A型。
出生名:津田健一
生誕:1978年12月31日(44歳)
出身地:福井県小浜市
学歴:若狭東高校電子機械科卒業
ジャンル:ポップス
職業:作曲家・会社員
活動期間:2019-
●人物略歴
・1978年大晦日の早朝5時に津田家の長男として誕生する。父親は未だに当時の産声を覚えているという。
・1985年、小浜市立小浜小学校に入学。 水泳が嫌いで毎回近くだった家へ逃げ込むも、毎回先生にプールまで連れ戻される。小学4年生より少年野球に入部し2軍のセカンド補欠を卒部まで務めた。エラーが続くので監督よりメガネをかけることを強要されるも、エラーは変わらず続き、視力が全く関係なかったことを知る。小学6年生のラストゲームで卒部した後から野球に興味を持ち始める。
・1991年、小浜市立小浜中学校に入学。 野球に才能を感じなかったことから卓球部に所属する。中学2年生の時に楠瀬誠志郎「星が見えた夜」で音楽に興味と感動を持ち始め、この頃に来生たかお、KANにも大きな影響を受ける。
・1994年、福井県立若狭東高校に入学。 引き続き卓球部に所属するもレギュラーは獲得できず、若狭東高校の秘密兵器と県内で噂になるも秘密のままで終わる。音楽では大きな影響を受けた3人がみんなピアノ弾きだったことから高校入学と同時にピアノを習い始め音楽理論を習得し、同時期より作詞・作曲を始める。
・1996年に友人とTHE BLUE HEARTS、GLAYのコピーバンドを結成。キーボードを担当し、地方ライブへの参加や文化祭デビューを果たした。
・同年9月に地元でのコンサート(三方縄文祭り)にゲスト出演する予定だった来生たかおに弟子入りを試みるも、豪雨のためコンサートは中止となる。近隣の約50もあるホテル全てに電話して聞くも、宿泊情報はつかめず弟子入りを諦めた。
・1997年、東京の音楽専門学校へ行くことを断念し地元企業に就職。
・2000年に初のオリジナル曲バンド「empty」を結成し作詞・作曲とキーボードを担当したが、2002年にアルバム「デモテープ」発表後に解散となる。それ以降はプレイヤーを離れ、作家を志し楽曲を制作し続ける日々を送った。
・2019年、小坂明子さん主催「のんのんじゃんるプロジェクト」の作詞・作曲家部門オーディションに合格し現在活動中。その傍らシングル、アルバムの制作と全音楽配信サイトより楽曲配信をしている。
・自主レーベルは「HATAKEN’s Records」
●ディスコグラフィ
【Single】
1st (19.5.18) 「GIVE ME CHOCOLATE」
2nd (19.5.18) 「冬物語-snow motion-」
3rd (20.12.13) 「恋するクリスマスク」
4th(21.4.7) 「結-MUSUBI-」
5th(21.8.7) 「DA・I・SU・KI」
6th(21.12.12) 「やじろべぇ」
7th(21.12.23) 「雪割草-1/365日のクリスマスソング-」
8th(22.3.8) 「ひとしずく」
9th(22.5.15) 「あの曲で会いましょう」
10th(22.10.7) 「きみとぼくのラブソング」
11th(23.5.20) 「あいにくBRAND NEW LOVE」
【ALBUM】
1st (19.12.12) 「最初の愛一歩」
2nd (20.12.15) 「大きな夢≦小さなキミ」
3rd (21.12.22) 「君そばで即解決」
4th(23.12.13 発売予定) 「純愛イップス」
↓外部リンク
YouTube Music
https://youtube.com/channel/UCw78gZlQici6s2OeBI94ZoQ
https://twitter.com/tsuda_kenichi/status/1315114476815884288?s=46&t=PRu5sm5aOiXDg7asA4iTfA