利用者:池月映/sandbox
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池月映(いけづきえい、1948年-)は郷土史、大東流合気柔術武田惣角の研究家。福島県喜多方市出身。
武田惣角の調査概要
大東流史実は口伝とされ、武田惣角の会津の前半生は謎が多い。実際に調査した結果、先祖名、戸籍、妻の実家自伝、小野派一刀流門下名、保科近悳(元会津藩家老西郷頼母)の立った写真などから事実が判明している。また、合気の由来・意味についても、国立国会図書館の4文献から、気合術(気合・合気)を引用したことが判明した。つまり、合気は千年以上も前から、修験や忍者が修行して受け継がれてきた伝統文化である。
著書
『合気の武田惣角』(本の森)2004年 口伝をもとに書いたもので、現在の戸籍から生年月日は1860年10月10日、妹マン、初婚の妻コンは士族佐藤家、長女テルは明治18年生まれ、長男宗清は明治20年年生まれ、明治29年の戸籍に惣角の失踪届、明治41年妻コンの死去が判明。 『合気の発見』(本の森)2009年 佐川幸義の証言で、保科近悳は武術の達人ではないとすれば、誰が合気を教えたのか。惣角は密教、修験道、易学、医療技術、気合術、不動金縛り術、足止め術を会得している。惣角は福島で傷害事件を起こし、瀕死の重傷を負った。結婚した時期からみて、自宅に帰り怪我の後遺症に苦しみ、隣村の易者中川万之丞の治療を受けた。2010年、武田時宗遺稿集の一部が発表され、惣角が修行したのは万之丞と同じ修験道・真言密教と判明した。武術研究家からは大発見といわれたが、一般の有識者からは武術と無関係ではないかの見方もあった。 『合気の創始者武田惣角』(本の森)2012年 先祖武田国次(国継)は親戚の先祖名を借用、明治戸籍は農民、戊辰戦争後に同居した藩士御供番100石(藩主護衛役)佐藤金右衛門から、御式内の柔術、武芸十八般を教えられ、4歳上の忠孝と養気館道場へ通った。忠孝は西南戦争に参戦後、近村の小学校教師になった。孫娘コンは惣角と結婚した。惣角の妹マンは7歳で失明、母は病死、惣角は妹を世話して武術家の素質が磨かれた。柳津円蔵寺の小野派一刀流門下名から武田善十郎師範代、剣術仲間、太子流剣術、渋川流柔術の長尾清吾(塩川町に道場開設)などが判明。戊辰戦争後は新政府の監視が厳しく、道場主渋谷東馬は剣術を指導していない。 『合気の武田惣角』(歴史春秋社)2015年 国立国会図書館が公開した気合術4文献『武道秘訣合気之術』『気合術独習法』『即席活用忍術気合術』『活殺自在気合術』で、『活殺自在気合術』(熊代彦太郎 東亜社 明治44年)に、広義的に気合と合気は差はない。気合は有心気合、動的方向、顕熱。合気は無心気合、静的方向、潜熱とある。この内容は大東流合気武道会報2号、武田時宗遺稿集の「気合ノ術」「合気ノ術」の内容と合致した。会津坂下町郷土学習副読本の武田惣角は調査内容のとおり訂正された。