利用者:水野重利
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みずのしげとし 水野重利 | |
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プロフィール | |
本名 | 同じ |
愛称 | 重ちゃん |
性別 | 男性 |
出生地 | 日本 |
生年月日 | 1986年12月21日(38歳) |
私が生まれたのは1986年である。 生まれた地域の記憶はない。 昭和の末期であったが、幼い頃の記憶は、和歌山南紀白浜の温泉地で育ったことである。 3つ下の障害児の弟との二人きょうだいであり、両親は旅館を営む為毎日が忙しいので、自分の部屋で、好きなゲームをしながら専ら弟の子守りをしているのが日課だった。 ほかの子どものように決まった休みは取れないが、定期的に両親ともどもよく旅行した記憶がある。 ただし「体調を崩しているので今日は学校をお休みします」と学校に報告して旅行をすることがしばしばであった。 学校を休むことはよくないことであるが、家族団欒を持とうとすると、こういう形しかなかっただと思っている。 そのことの影響で学校の成績に響いたことは多いに予想できたことであった。 義務教育時代は近所に住んでいる同じように旅館関係の同級生が私の家に3,4人遊びによくきた。 だが、外は危ないので室内で遊びなさいといわれ、まったく外で遊んだ記憶がない。 でもそういうなかでも家の庭先に植えられている柿の木の水遣りのときはみんなを連れてきて見せたものである。 みんなが大人になったら一緒に食べようねとよく約束したものである。 保育園の入園記念に母が植えてくれたので、大きく成長し、実を付けるにはその時分になるのでそのようにいったものである。 自分では頭が悪いと思ったことは一度もないが、先に書いたように学校を休んだ天罰で高校入試につまずいたことは悔やまれた。 地元の高校には行けなかったが、通信高校のかたちで存在する八州学園高校堺校を知ることができた。 順調に進級しているとき、高校二年のとき出身中学の追跡調査ということで当時の担任から母に電話があったそうである。 「これこれしかじかの高校で無事進級していますよ」と母がいったら、びっくりしていたそうである。 将来的にはきっても切れない弟のこともあるので、介護の資格を取り、役立てていきたいし、自分自身も大学生の身でもあるので未発展の身ではありますが頑張って行きたいものである 旅の宿泊 南紀白浜にお出かけの時、ペンションおもだか、 予約は、じゃらんネットから、ペンションおもだか、捜してクリックしてください。 格安につき、部屋にはテレビ無し寝具無し歯ブラシ等備品一切ありません。 暖房は、2時間百円です。風呂とトイレはユニット式になっています。