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利用者:橋川桂/sandbox

「一年を二十日で暮らすいい男」と川柳に詠まれたように、1778年3月場所でそれまでの8日間制が10日制になってからは一場所10日・年2場所の時代がながく続いた。屋外での興業だった時代には天候不順のために10日間の日程を消化できずに場所を打ち上げることも、不景気や災害の影響で一場所も開催のなかった年もあった。

1909年に初の常設相撲場である両國國技館の落成で、本場所の定期開催が可能になり、またそれまでは千秋楽には休場したり余興、ファンサービスとしての取組のみだった幕内力士も10日間すべて土俵をつとめるようになった。1923年5月場所、三河島事件での関取の待遇改善要求を受けて、増収分を力士養老金の増額に充てるため、一場所が11日間に延長された。

東京相撲と大坂相撲の合併によって、1927年から東京場所2場所、地方(関西)場所2場所の年4場所制となり、東京場所と地方場所でそれぞれ番付がつくられるなどの試行錯誤がありつつ、1933年春秋園事件の影響で地方場所が廃止になるまで続いた。

1936年5月場所で初優勝し、69連勝をなしとげて大関、横綱へ駆け上がった双葉山の人気で観戦希望者が急増し、これに応える形で1937年5月場所から一場所13日制、1939年5月場所から15日制となった。戦中戦後の動乱の時期、7日制や10日制、13日制での開催を経て、1949年5月場所で再び15日制となり、これが現在まで続いている。