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利用者:梓 常葉/sandbox

Wikipedia街道「大山道」第7回 真福寺

境内

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真福寺跡

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創建不詳で、定誉のものという天和2年の墓があったといい、開基かと疑われる[1]。場所は、現在の宿自治会付近にあったが、墓地を残して遺跡は残らない[2]

『新編武蔵風土記稿』によれば、当時の境内には薬師坐像を安置する客殿、釈迦立像を祀る釈迦堂、稲荷天神の合社があったという[1]

本堂

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現在の本堂は、1789年に現在の場所に観音堂として建立された[3]。正面3、側面5間で宝形造の建物であり[3]、千手観音立像が安置されている[2]。釈迦如来立像と本阿弥陀立像が眞福寺や無量寺から移されてくると、多種の信仰を持つ堂となっている[4]

銘木

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境内には、横浜市の名木古木として指定されている樹木が2つある。1つは樹齢200年ほどと推定されるイチョウ、もう1つは樹齢400年ほどと推定されるカヤである[5]

その他

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  • 庫裏[3]
  • 収蔵庫 - 国指定の重要文化財に指定されている釈迦如来立像が保管されている[2]
  • 石像物[6]
    • 舟形仁王像(天和2年)
    • 宝篋印塔(文化10年)
    • 大日坐像安置角柱(旧小机領三十三ヶ所観音霊場第二十番札所)(享和2年)
    • 敷石供養塔(安政3年)
  • 地蔵堂(宝暦12年)[6]

出典

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  1. ^ a b 『新編武蔵風土記稿』巻87。蘆田伊人編、根本誠二補『新編武蔵風土記稿』第4巻、雄山閣、1977。253ページ。
  2. ^ a b c 『神奈川県の歴史散歩 上 川崎・横浜・北相模・三浦半島』 神奈川県高等学校教科研究会社会科部会歴史分科会、山川出版社、2005年、66-68頁。ISBN 4-634-24614-7
  3. ^ a b c 横浜市文化財総合調査会「横浜の近世社寺建築 横浜市近世社寺建築調査報告書 II 寺院編」1991年、p73。
  4. ^ 横浜市教育委員会「横浜市文化財調査報告書 第三十一輯 真福寺絵馬調査報告書」1997年、p2-3。
  5. ^ 横浜市緑政局「名木古木指定樹木一覧」1982年、p64。
  6. ^ a b 横浜市文化財総合調査会 編『横浜市文化財調査報告書 第21輯の2 緑区石造物調査報告書』横浜市教育委員会、1993年、42-46頁。