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利用者:松岡修造21/sandbox


ミナミ無線電機株式会社
ミナミムセン秋葉原本店跡地
(現:ドン・キホーテ 秋葉原店)
種類 株式会社
本社所在地 日本の旗 日本
101-0021
東京都千代田区外神田四丁目3番3号
北緯35度42分2.9秒 東経139度46分18.7秒 / 北緯35.700806度 東経139.771861度 / 35.700806; 139.771861座標: 北緯35度42分2.9秒 東経139度46分18.7秒 / 北緯35.700806度 東経139.771861度 / 35.700806; 139.771861
設立 1948年6月
業種 小売業
事業内容 不動産賃貸、家庭用電化製品販売
代表者 小野原瑞夫(代表取締役社長)
資本金 8,000万円
売上高 33億円(2001年11月期)
従業員数 20名
決算期 11月
主要株主 南学正夫
南学正茂
特記事項:『帝国データバンク会社年鑑. 2003(第83版)』(帝国データバンク)記載のデータを基に作成。
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ミナミ無線電機株式会社(ミナミむせんでんき)は、かつてミナミ電気館ザ・ミナミミナミムセンの屋号で秋葉原を中心に店舗を展開していた家電量販店

概要

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ミナミ無線電機は1948年頃に秋葉原で創業。早朝営業などのアイデア戦略と積極的な売り込みで業績を伸ばしていき、テレビ放送黎明期の1955年にはミナミテレビジョンを設立し、テレビ本体の製造を行っていた時期もあった[1]

1984年にそれまで本店を構えていた周囲一帯の土地を買い上げ、地上8階地下1階建の自社ビル・ミナミビルを建設。ミナミビルに開業した「ミナミ電気館秋葉原本店」は当時、単一店舗としては秋葉原で最大の売場面積を誇った[2]

1980年代後半には、首都圏でのフランチャイズ店舗展開の強化を進める[3]一方で、松戸に家電とソフトの複合店を開店[4]するなど、積極的に事業拡大を行い、最盛期には秋葉原の本店以下、新宿松戸勝田石岡日立水戸などに多店舗展開し、1991年11月期で110億円を売り上げるまでに成長した。

しかし、1989年を境とする家電不況に加え、バブル崩壊による消費不振により売上が伸び悩み、秋葉原本店の家電売場を5階までに縮小し、効率の悪かった6階、7階部分を使い輸入雑貨やギフト品、ブランドバッグなどの売場を設け、非家電部門強化による打開策を試みた[5][6]

1994年6月には亜土電子工業と業務提携し、「T-ZONEミナミ」として本店のパソコン売場を拡大した[7]。当初はミナミ無線電機による運営だったが、同年末には規模を拡大して亜土電子工業による直営店舗となった[8]

「T-ZONEミナミ」は後に「T・ZONE.秋葉原本店」に名を変え、営業当時はラオックスの「ザ・コンピュータ館」と並ぶ日本屈指のパソコンショップとしても知られたが、パソコン需要の低迷とT-ZONEの経営主体の迷走を受け、2002年5月31日に閉店。一般家電売場だった1、2階ののみミナミムセン秋葉原本店としての営業を継続したが、同年9月9日をもって閉店した。

同年10月にはビル全体をラオックスに賃貸し、総合エンターテインメント店「アソビットシティ」が開店したが、ミナミ無線電機が投資ファンドにビルを売却した関係で1年半後の2004年4月に閉店し撤退、同年8月からはドン・キホーテ秋葉原店が入居している。現在では、ドン・キホーテのほかに東京レジャーランド秋葉原2号店・AKB48劇場も入居している。

グループでの事業展開

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創業一族である南学家はバブル以前から、ミナミ無線電機を中心にゴルフ場、スキー場、ホテル、レジャー施設などへ経営を多角化する一方、南学正夫社長個人でサルバドール・ダリの絵画を始めとした美術品収集を手がけていた。これらコレクションは、1986年9月にミナミ電気館本店7階に併設された「ミナミ美術館」で公開され、『ダリ 愛の宝飾展』として常設展示し、それまで秋葉原に少なかった女性客の取り込みを図った[9]。美術館は1989年以降「ミナミ宝飾美術館」と改名して新宿駅前、更には鎌倉駅前と移転したものの、コレクション散逸により閉鎖に追い込まれている。また1987年には秋田県田沢湖畔に田沢湖金色大観音を建立、大観音を中心としたレジャー開発を企図するが、これが宗教法人名義を使った節税だとして批判もあった。

グループは最盛期よりは規模が縮小したものの、現在でもスターホテルグループやゴルフ場などを一族で手がけている。

ミオス

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秋葉原にはかつて、ミナミ無線電機の創業者一族が経営する別の家電量販店「ミオス本館」(株式会社ミオス。旧社名:ミナミ電気株式会社)も存在していた。ミオスは1993年9月に閉店し家電量販事業から撤退、店舗跡はその後ソフマップの店舗を経て、現在はラムタラが入居している(建物が「ミオス本館ビル」として名称が残っている[10])。ミオスの経営母体は現在でも、掛川市にあるゴルフ場「ミオス菊川カントリークラブ」の経営元として現存している。

CM

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  • ミナミ電気館時代は小林亜星、ザ・ミナミ時代は松本典子を起用したCMを関東ローカルで放映していた。

脚注

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  1. ^ “南学正夫氏の「ダリ」――秋葉原に名品展示(あの企業この人秘蔵の品)”. 日経金融新聞 (日本経済新聞社): p. 9. (1990年4月20日) 
  2. ^ “ミナミ無線、秋葉原最大の家電店舗建設へ――59年3月20日に開店予定”. 日経産業新聞 (日本経済新聞社): p. 5. (1983年2月22日) 
  3. ^ “ミナミ無線電機、FC方式で郊外店展開”. 日経流通新聞 (日本経済新聞社): p. 11. (1988年3月3日) 
  4. ^ “ミナミ無線電機、複合家電店を展開――出店規制に対応策”. 日経流通新聞 (日本経済新聞社): p. 14. (1988年11月22日) 
  5. ^ “非家電商品で勝負、ミナミ無線電機――本店に雑貨・ギフト品売り場”. 日経流通新聞 (日本経済新聞社): p. 5. (1990年2月1日) 
  6. ^ “量販店、リストラに四苦八苦――不採算店見直し、在庫圧縮(家電流通を切る)”. 日経流通新聞 (日本経済新聞社): p. 1. (1992年9月22日) 
  7. ^ “ミナミ無線、亜土電子工業と提携――パソコン販売拡大狙う”. 日本経済新聞 (日本経済新聞社): p. 13. (1994年5月27日) 
  8. ^ “秋葉原のパソコン専門店、既存店舗を大型化――需要拡大に対応、一般客を呼び込む”. 日経流通新聞 (日本経済新聞社): p. 9. (1994年11月3日) 
  9. ^ “秋葉原に文化の殿堂、ミナミ無線電機が美術館――女性客にアピール”. 日経流通新聞 (日本経済新聞社): p. 19. (1986年9月18日) 
  10. ^ ラムタラメディアワールドアキバ店舗案内

外部リンク

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