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利用者:有足魚/ウィキペディアンに偉い人はいない

ウィキペディアでは、それがウィキペディアの発展に資するものであれば、すべての貢献が尊重され、すべての意見が尊重されるべきです。貢献の大きい人であっても、貢献の小さな人を軽蔑するべきではありません。議論においては、「誰が言っているのか」ではなく「何を言っているのか」が重要視されるべきです。

解説

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ウィキペディアでは、多様な参加姿勢が受け入れられます。なぜなら利用者によって持っている能力とリソースはまちまちであり、すべての人に同じことをさせるのは不可能だからです。また、ウィキペディアの利用者は善意のボランティアに過ぎず、何らかの貢献を義務付けられた存在ではありません。そのため、人によっていろいろな形でウィキペディアに貢献していることでしょう。たとえば、秀逸な記事をたくさん書いている人もいるでしょう。ウィキメディア財団に多額の寄付をしている人もいるでしょう。方針やガイドラインを整備して、他の人が円滑に編集活動ができるようにしている人もいるでしょう。その一方で、雑草取りを中心にしている人もいるでしょう。初心者でうまく記事を書けない人もいるでしょう。しかし、それらすべての人の貢献は、どれもウィキペディアの目的を達成するために必要なものであり、尊重されるべきです。大きな貢献をしている人が、小さな貢献をしている人を軽蔑してよい権利はありません。小さな貢献も、続けていれば大きなものになるのですから。

ならば、ウィキペディアンに偉い人はいるのでしょうか。確かに、記事の執筆経験が豊富で、方針類をよく理解している人の意見は尊重されるべきです。しかしながら、それはあくまで一個人の意見としてであって、それ以上の影響力はありません。いくら記事の執筆能力が高いからといって、他の利用者を威圧したり見下したりするような無礼な態度を取ることは許されません[1]。そのような態度はウィキペディアの意思決定のために必要な合意形成を妨げ、他の利用者を疲弊させてコミュニティを荒廃させるためです。逆に経験の浅い方でも、発言が的外れでないのならば、耳を傾ける価値があります。初心者を大事にしないコミュニティは、遅かれ早かれ衰退するからです。つまり、「誰が言っているのか」ではなく「何を言っているのか」が重要視されるべきなのです。そのため、ある人の意見に対して属人的な批判をすることは避けるべきです。発言者が優秀な執筆者であっても、初心者であっても、過去にブロックされた経歴を持つ人であっても、差別を行うべきではありません。

脚注

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  1. ^ 執筆能力が高ければ、コミュニティの一員としても素晴らしい資質を持っているだろうと考えてしまうのは、ハロー効果かもしれません。コミュニティの一員として素晴らしくあるためには、利用者の行動のルールを守り、何よりも周囲との協調を第一としなければなりません。

関連項目

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