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利用者:抹茶ちょこぽてち/sandbox


|名称=弁慶橋 |国=日本の旗 日本 |都市=東京都千代田区紀尾井町 - 東京都港区元赤坂一丁目間 | 緯度度 = 35.6788130度 | 経度度 = 139.7362968度 |全長 = 44.75m |幅=22.0m |材料=コンクリート 弁慶橋(べんけいばし)とは 東京都の神田松枝町と岩本町の間にある藍染川に架けられていたが、現在は移動しかいかされ、東京都紀尾井町と港区元赤坂一丁目にある弁慶堀の上に架けられているコンクリート橋の事である。

歴史

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江戸城普請の大工の棟梁であった弁慶小左衛門が造った。そのことから弁慶橋と名付けられたといわれている。

かつて、弁慶橋は、神田松枝町岩本町との間にある藍染川下流に架けられていた。しかし、明治18年に、藍染川が下水工事で埋められ、弁慶橋もなくなった。このまま、名橋が失われるのも惜しいということで、紀尾井町から港区元赤坂一丁目に通じる道筋にある弁慶濠へ、明治22年、廃材を利用し架設された。これが現在の弁慶橋である。

弁慶橋
弁慶橋跡地 看板②
弁慶橋 全様③

藍染川

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江戸時代に今の神田金物通りの一本北の道すじに流れていた小川 川幅は一間(1.8M)ほど 川は谷戸川から流れていて下流は不忍池に流れている。 名前の由来は川周辺に藍染の仕事をしている人が集まっておりその川の水を使って仕事をしていたからという説が有力。 明治17年東京で最初の都市下水工事が行われて藍染川もその対象となった。 人家が増え下水の通りが悪く、衛生状態を改善するために初めて近代下水道が建設され、藍染川やそこに架かっていた橋は姿を消した。 弁慶橋のほかに新橋紺屋橋汐見橋白壁橋掃部橋などがあるが詳細についてはあまり分かっていない。


参考文献

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  • 新撰東京名所図会

(図会に見る日本の百年、第3巻) 明治文献、1976.9 大学図書館所蔵

  • 江戸・東京の歴史をたずねて 千代田まち辞典

千代田区区民生活部 平成17年3月15日

  • 大江戸透絵図ー千代田区から江戸が見える(全国版)

監修:北原進 発行:江戸開府400年記念事業実行委員会 [事務局](財)千代田区コミュニティ振興公社 販売所:丸善(株)出版事業部 制作・編集:(株)ネットアドバンス(小学館グループ) 2003年 10月1日

外部リンク

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