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利用者:岡部碩道/下書き3/執筆中3

『冠軍帖』伝・張芝書(淳化閣帖本)

張 芝(ちょう し、生年不詳 - 192年)は、後漢書家伯英(はくえい)、酒泉の人。草書をよくし、古来、草聖と称された。

略伝

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本籍は酒泉で、のちに弘農に移った。太常卿になった高官の父・奐(かん)の子として育ち、年少にして節操高く学問に勤めた。朝廷からも才能を認められて召されたが、生涯官につかなかったという。志が高尚で世に媚びず、書を大変好んで崔瑗杜度の2人にを学んだ。家にある布地にすべて字を書き付け、それをまた練り直して[1]利用したと伝えられる。

書は草書を最も好み、後世、草聖と称され、歴代の評論家からその書を絶賛されて草書の創始者といわれるに至った。弟に張昶がおり、兄弟そろって草書をよくし、また、張芝の姉の孫の索靖も、西晋時代の草書の名人として有名であった。

作品

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『欲帰帖』伝・張芝書(淳化閣帖本)

代表作に章草の『芝白帖』がある。また『淳化閣帖』第2巻に草書の『冠軍帖』(かんぐんじょう)・『欲帰帖』(よくきじょう)・『終年帖』(しゅうねんじょう)・『二月八日帖』と章草の『秋涼平善帖』(しゅうりょうへいぜんじょう)の5帖が見える。しかし、『秋涼平善帖』以外はまったく信を置き難い。

評価

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以下、中国の書論中の張芝の評論・書品を記す。

  • 「伯英の章草は崔・杜の法を学んで之を変じ以て今草を成す。字の体勢一筆にして成り偶ま連らざるあるも血脈断へず。」…『書断
  • 「張の草には猶お当に雁行すべし。」…『書譜
  • 「張芝は工夫は第一で、天然はこれに次ぐ。鍾繇は天然は第一で、工夫はこれに次ぐ。王羲之は工夫は張芝に及ばないが、天然はそれ以上であり、天然は鍾繇に及ばないが、工夫はそれ以上である。」…『書品
  • 「真書が古雅で、道が神明に合してりうのは、鍾繇が第一である。真行が妍美で、粉黛を施すことがないのは、王羲之が第一である。章草が古逸で、極致の高深なのは、杜度が第一である。章は勁骨天縦、草は変化無方なのは、張芝が第一である。諸体を精しくすることができるのは、唯ひとり王羲之だけであり、次いで王献之に至っている。」…『書断』
  • 書人ランク一覧では、章草で逸品にランク…『書後品
  • 書体別・書人ランク一覧では、行書・章草・草書で神品に、隷書(今の楷書)で妙品にランク…『書断』

臨池

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張芝は自分の家の庭の池に臨んで熱心に習字をし、筆を洗ったため池の水がいつも真黒であったというのは有名な話であり、書道のことを臨池(りんち、臨池の業・臨池の技とも)というのはこの故事による。

著書

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  • 『筆心論』(書論、ただし現存せず)

脚注

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  1. ^ 煮て白くやわらかくすること。

出典・参考文献

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関連項目

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