利用者:山本雅基礎/sandbox
ここは山本雅基礎さんの利用者サンドボックスです。編集を試したり下書きを置いておいたりするための場所であり、百科事典の記事ではありません。ただし、公開の場ですので、許諾されていない文章の転載はご遠慮ください。
登録利用者は自分用の利用者サンドボックスを作成できます(サンドボックスを作成する、解説)。 その他のサンドボックス: 共用サンドボックス | モジュールサンドボックス 記事がある程度できあがったら、編集方針を確認して、新規ページを作成しましょう。 |
【自己履歴書】 昭和38年 東京、両国生まれ 幼少より、道端に捨てられている犬猫を見捨てられずに連れて帰り、幾度も叱責を受ける。 将来は可哀想な生き物をお世話できる大人になろうと思う。 【小学校時代】父親である治夫、警視監、数県の県警本部長、東北管区警察局長の都合で転校を繰り返し、ひどいいじめを受ける。パニック障害、強迫神経症、抑うつ神経症、連続嘔吐、自死発作に苦しむ。 小学校4年時。映画『砂の器』(松本清張原作、山田洋次監督)を見て、この映画の音色とトーンが本人の人生の通奏低音(レチタティーヴォ)になる。この映画は通観100回以上。 【中学校時代】 芹沢光次良『人間の運命』全14巻を読み通し、「将来は世の中に裨益する人間になろう」と決意する。学級委員長、生徒会副会長、生徒会長を3年間務める。 【高校時代】 将来は司法試験を取り、裁判官を志す。しかし、人を裁くのは性分に合わぬと判断して明治大学附属高校を中退する。NHK学園高校通信制に転校して卒業。 映画『ブラザーサン・シスタームーン』を見て、イタリアの聖人アッシジのフランチェスコのような生き方を望むようになる。 三浦綾子『塩狩峠』を読み、他者のために殉職する鉄道員に倣いたいと思う半面、飛び込めないであろう実際の自分の信仰の弱さこそ、神の愛の中心ではないか、と考える。 倉田百三『愛と認識との出発』、トマス・ア・ケンピス『キリストに倣いて』に触れて確信は深まる。その当時、両親からは「出世も富裕も意味がない、魂の貴族になりなさい」との薫陶を受ける、賀川豊彦(基督教社会主義)の神戸の貧民窟での伝道書『死線を超えて』を読み、畏怖の念と同時に、自分には出来ないと思い込む。 【大学時代】 ある屈指の大学の哲学科に在籍する。学派の多さと正否の悩みから、「知」の追究による人生の謎の解明は不可能かと思う。 1985年.日航機123便墜落事故(死者520名)の自己に正対し、ノイローゼになる。 大学を中退し、キリスト教会(プロテスタント)の門を叩く。同年、洗礼を受ける。 人を裁く裁判官ではなく、人を赦すのが仕事である神の僕になろうと聖職者を志す。 国立がんセンター中央病院(当時)の小児科で小児がん、白血病の子どもに勉強を教えるボランティアに専念する。当時は、骨髄移植もない時代で、小児がんの5年生存率は0%。即ち、「全滅」との看護婦長からの情報に愕然とする。埼玉県川口市の青少年相談員となり地元での活動にも力を注ぐ。この頃、ホームレスのおじさんを連れてきては、生活させる小さな活動を積み重ねる。
【第2 の大学時代】
人間の救済論の探求から、第2バチカン公会議以降の神学に傾倒し、カトリック・レデンプトール会の志願者となる。同時に上智大学神学部司祭過程に再入学。
この当時、小児がんの子どもを持つ親を支援するファミリーハウス運動に傾くと同時に、
修道司祭には神学的にも性格的にもなりきれないと判断して、修道院を出る。
1995年、同大学神学部を卒業。
【社会人生活】
1989年より、NPO法人「ファミリーハウス」の初代事務局長を11年間務める。
経団連社会貢献部、1%クラブに出入りしては、企業訪問を行い。P・F・ドラッガ―の
『非営利組織の運営』等の著作を読みこなす。訓練を受け、300社以上の社会貢献部への働きかけに専念する。この時代、300人以上の子どもの死を看取る。
住友生命保険相互会社を口説き落とし、70㎡のオフィスビルの1区画を11年間にわたり、
無償で借受けることに成功。ファミリーハウス運動全国ネットワークの初代中核者として、
企業セクターとNPOセクターとの連携の手法を学ぶ。日産自動車、パナソニック、SONY
等の部長等から薫陶を受ける。それは単純なことで、企業も人であるから、人物を鋭く観る。それに相応しい信念と熱情(パッション)があるか、彼のためなら俺たちもひと肌脱がなくては駄目だと感じさせる強さが必要なのだと学ぶ。
2000年、ついに、日本マクドナルド、アメリカンファミリー生命保険、日本化薬、北海道電力等が本格的に支援すると同時に、国からも19億円のファミリーハウス整備予算がつく。
この頃から自分のこの仕事での役割は終えたと判断して退職。
【そして山谷へ】
インドのマザーテレサが行っている『死を待つ人の家』の日本版を求めて、山谷に移り住み、
2002年、民間の信用金庫から単身で1億1500万円の融資に成功。あるキリスト教団体のシスターを説得して5000万円の寄附を得る。また個人の篤志家から3000万円、1000万円、500万円と寄附を受け、山谷の地の中心にホスピスケア施設『きぼうのいえ』21床21名、鉄筋5階建てを建築して開設、2017年までに、200名ほどの元ホームレスの方々を看取る。同法人の理事長、施設長を15年間行う。
今年7月、リセットと将来へのジャンプを考えて、周囲の決断もあり、役職は退任し、
現在は「きぼうのいえ創設者・理事・顧問」となる。
慶應義塾大学からの招聘に応え、2010年より、特別招聘講師として講義、全国の講演活動、執筆活動、マスコミメディア対応を中心に現在も活躍中。
【いまと、これから】
今年、6月、自宅の1階を、カトリック・ヨセフ・ピタウ大司教記念娯楽室として私費を投じて24時間開放。入浴等すべて無料。24時間営業のキリストの私的伝道施設として一切施錠せずに出入り自由。もし不測の事態、事件等により帰天した場合は殉教の覚悟で専心。
今後、社会福祉法人を立ち上げ、東京23区初の救護施設を開設すべく奔走中。
終始一貫して神の僕であるこという初心を忘れずに、上司は神様・イエス様のみと心得ると同時に、仏教、神道との協調路線を邁進中。
映画『ビルマの竪琴』の水島上等兵、遠藤周作の『深い河』の大津神父のように生き、そして死ぬことが夢。
しかし、それではあまりに恰好が良すぎます。私はもっとバカです。遠藤周作の作品の登場人物の「私が棄てた女」の『かわいそう』しか言えない「森田ミツ」。「おバカさん」の「ボナパルド・ガストン」。飼っていたいた犬が死んで『動物さん、犬さん 死ぬこと とーても かなし。 ウオーン』と泣くことしかできない。そんな愚者こそ真実の私でありたい。
【大切にしている言葉】 死なない命 過ぎ去らない幸せ 滅びない愛
神様は実り豊かな人生を祝福されますが、何の収穫もなかったかのように見える人生をもっと祝福される。 (アントニー・デ・メロ神父 イエズス会士)
山谷では私を「山谷のファザー・テレサ/山谷のオスカー・シンドラー」と呼んでいるようです。 山谷のスラム街から祈りのうちに……
肩書きに追加あります。
カトリック・ヨセフ・ピタウ記念娯楽室館長 厚生・福祉社会事業家・社会起業家