利用者:山下達哉
外塚 重喜(とづか しげき、1980年2月19日-)熊本県荒尾市生まれ、メキシコの元プロボクサー 自費出版『かけがえのない日々』を2017年に出版
基本情報 | |
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本名 | 外塚 重喜 |
通称 | Flash |
階級 | ライト級 |
身長 | 180cm |
リーチ | 188cm |
国籍 | 日本 |
誕生日 | 1980年2月19日(44歳) |
スタイル | 右ボクサースタイル |
プロボクシング戦績 | |
総試合数 | 12戦 |
勝ち | 10勝 |
KO勝ち | 7 |
敗け | 2 |
経歴
[編集]1980年2月19日、熊本県荒尾市出身。プロボクサーで元WBC世界バンタム級チャンピオンの辰吉丈一郎に憧れプロボクサーを目指す。
外塚が生まれる前に父は病死したため父親の顔を知らず母子家庭として育った。
中学生時代はロックバンドを夢見ていたが1994年12月14日、愛知県レインボーホールで行われた世紀の一戦、薬師寺保栄対辰吉丈一郎の試合を見てプロボクサーを目指す。
1995年中学卒業と同時にそれまで新聞配達と学業を両立しながら貯めたバイト代で単身上京。 新聞配達は1年続け1年で100万を貯めたが上京資金5万円のみ残し、残りは母親に全て渡している。 それについて外塚は「100万の大金を持ち歩けば東京に何しに行くかわからない。自分で自分のケツ叩いた」と語った。
上京後、都内のボクシングジムに通いながら溶接工として働き始める。 トレーナーからは「独特の感性と類いまれなる才能で辰吉を超える逸材」とボクシングマガジンでボクシング界の財産になる可能性がある練習生がいると語る。 プロテストまで1ヶ月を切った当たりから目の異常に気づき眼科で受診し網膜剥離と診断されプロボクサーへの夢は潰えた。
目標を失った外塚は仕事に没頭するも平和な毎日に嫌気がさし、同じ網膜剥離でボクシング生命の危機に立たされながらもカムバックした辰吉丈一郎の元へ訪れる。
17歳で美容師と結婚。 長女を授かると再びボクシングに打ち込む。 網膜剥離になったボクサーは国内では試合が出来ない為、異国の地メキシコへ渡る。
22歳の時、1ラウンドKO勝ちでプロデビュー。 メキシコでの試合であった為、日本からの応援者は妻のみだったが「一番見せたかった人に勝利を捧げられて良かった」と大粒の涙を見せた。
2015年事実上ラストファイトとなったこの年、試合前に最愛の母が亡くなる。 精神面で不安定になり、トレーナーからは試合の中止を提案されるも、母の口癖である「男は何があっても仕事は休むな」を守り試合をする事になった。
試合前にメキシコのテレビ局サン・テレビのインタビューで「母親が亡くなったが今の心境は?」の質問に、それまで笑顔で計量に挑んでいたのが真顔になり「明日の為にここにいる。なにもない」と答えた。 このコメントを聞いたメキシコボクシングファンは感動しYahoo!メキシコの検索ランキングに「外塚」が上位になった。 試合は「これが最後の親孝行」と試合前語った外塚がプライドを捨て壮絶な打ち合いとなり、8ラウンド判定で外塚が勝利した。 勝利者インタビューで「また会おう母ちゃん」と波乱万丈のボクシング人生に幕を下ろした。
2020年現在、復帰を模索中。
エピソード
[編集]結婚は6度しており、その都度離婚をしている。 これまで6人の子供を授かり1人は先天性の心臓病で亡くしている。
辰吉をプライベートで兄貴と慕っており、大阪へ行くと必ず辰吉に会いに行く。
美容室は毎日行っており、年に数回程度しか自分で頭を洗わないとツイッターでツイートしている。 通っている美容室はPEEK-A-BOO、ZAZA、K-tow、カシュカシュ。 特にPEEK-A-BOOの今井優奈には全幅の信頼を置き全ての施術を今井に任せている。
芸能人との親交もあり窪塚洋介、華原朋美、桜井莉菜、亀田和毅などとはプライベートでも食事する仲である。
エステには月に2度行っており誰よりも小顔でいたい為とTwitterでツイートしている。