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利用者:加藤勝憲/ sandbox0

江戸時代戯曲小説通志 : 2篇 前篇 [第2冊] 61~62ページ。

安永五年より黄表紙の外題紙は一変して紅繪摺となり従来畫きし鳥居風の繪と廢して錦繪風に改めたり殊に其の時好は投心買行き宜し の旋入りとなし三番を一番と満しょ者に在作品して其の面は五十文 至ては半紙を二切よなしえょ薄柿色の一重表紙を より六十四文の間にありしといふ。

草双紙の最も流行と極めしものは天明年間に売り出したる喜三二が『文武二道万石通』、春町が『鸚鵡返し文武の二道』、および参和が『天下一面鏡の梅鉢』の黄表紙にて、発兌の当日は版元鶴屋の門前に購客山の如く、引きも切らざりしかば製本の暇さへなく摺上げしばかりの乾きもせざる本に表紙と綴系とを添へて売り渡せり。而して其の春三月まて。 行きたりと云ふ又以て当時、草双紙が如何に流行せしかを見るに足るもの有らん。然るに書肆の作者に酬ゆることは極めて薄く、ただ年始歳暮に錦絵絵草 紙などを贈るに止まり、別に原稿料として作者に酬ゆることはなかりしなり。たまたま当たり作あるも、其の作者を上客となし画工彫刻師等を伴い遊里に聘してこれを饗応するにあらされば、絹一匹または縮緬一反を贈り以て其の労に酬ゆるに過ぎず、未熱の作者に至りては入銀とて二分ないし三分を草稿に添へて而して書肆な出版を請ふものあるに至れり。されば当時の作者は皆他に生計の道を立てて戯作は真の慰みものとなせしなり。

其の原稿料として香肆より作者に金子を贈くる事とおりし 爱1黃表紙は又寬政年間に至りて次第に流行と極め作者さは艺全交。 山東京傳曲亭馬琴式亭三馬等只俊傑ありて中原に齊驅せしか艾京傳 の右に出つるもの無かりま蓋し天明の頃まて京傳い黄表紙のみを作 りしが當時喜三二春町等の筆録甚銃きを以て容易にこと對立すべか らさるを知り更に洒落本を作りしにやかて其の巨感と稱せらるこに至 れり然るよ寛政三年幕府の貴罰する所と爲りしより専ら黄表紙の作 に従事することろはなりぬ此際京傳が勁敵たる春町の永浙し喜三二亦戯作を廢せしかは其の技備益進み終に一世を風靡するに至りしな り爾かのみならず彼い始め北尾重政の門に入りて書と學ひ之に加ふ るに天賦の奇才を以てせしかい値に交思の巧妙と極めしのみならず。 一種の奇拔なる意匠の油然として掃書の上に躍り先つ無数の讀者を ぞ驚嘆せしめける著はす所の江戸生浮氣樺燒山杜鵑土岐破瓜等世の 好評を博したるもの勝けて敷ふべからす線に其の最も流行を極めた るものは心學早染草にして人呼びて善玉惡玉の草紙と云ふ此言終に 人口な膾炙ら非義なる族を目して惡玉と云ふに至れり而して其の二 編なる人間一生胸算用及び其の三編なる堪忍袋緒が善玉の如き又世 に稱せられたるもの也 京博に吹くものを芝全交と為す其の文字絶好の處に至りては時とし て京傳の作を凌ぐに足るものあり三馬が俠太平記向鉢卷の如き又其 の間に傑出し殆と柳櫻亂れ咲くの美観をぞ呈しける又其の頃俳優の 戯作になるもの陸積として世に出てしか是皆其の自作に成るものに

双木園主人 編述『江戸時代戯曲小説通志 : 2篇 前篇 [第2冊]』誠之堂書店、1894年、61 - 62頁。