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利用者:加藤勝憲/ 江戸時代の出版業者 常樂亭石田茂兵衞


この田原仁左衛門はその後、少なくとも江戸中期まで、京都では有力な出版書肆の一つとして數多くの刊行実績を残しており、殊に禅籍に力を注いでいたのが出版作品リストからも分かる。寛文4年(1664年)に出版した仏光(無学祖元)・ 仏国両国師の語錄の活字の書体様式は、の新しい唐本の版式によるもので、古活字本の活字様式の書体から全く脱却した体になつている。即ち、筆画に書写体の筆致が存しない直角的な筆線のみの書体である。奥付には二條通鶴屋町田原仁左衛門道住再刊 の刊語がある。

これから元禄の初年までおよそ30年間の活字印行は、元禄5年の「紫栢老人詩集」まで延宝貞享年間に若干のものがあるが、殆ど空 白に近い狀態である。巻末に次の刊記がある。元禄5年6月以唐本考之 山城州常樂亭石田茂兵衛植 三 次いで元禄15年(1702年)から正徳3年(1713年)の12年間に行なわれたのが、寶永2年刊「佛光禅師語錄」 (13冊)「同拾遺集錄」(1冊)である。

作品

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