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利用者:加藤勝憲/谷村一太郎

谷村一太郎(たにむら いちたろう、1871~1936年)は、明治・大正時代の実業家。号は秋邨。中越鉄道支配人、泉州紡績会社支配人、藤本ビルブローカ銀行大和証券の前身)会長を務めた[1]。古典籍収集家としても知られ、蔵書は京都大学に寄贈され谷村文庫となっている。

経歴

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1871年(明治4年)、富山県福光町(現・南砺市)生まれ[2]。生家は代々布商を営んでいた。同16年家督を相続、慶応義塾に入るが、父の友吉が大隈重信の崇拝者で、その意を体して早稲田に転じた[2]立憲改進党一派の経営する中越鉄道に入る。同1901年(明治34年)ころ泉州紡績に移り、支配人となる[2]。1904年(明治37年)、藤本ビルブローカー銀行に転じ、同39年取締役、大正9年代表取締役専務、同14年第4代会長に就任。(写真は和田喜一郎著「華城事業界之名流」より)

藤本ビルブローカー銀行草創期の代表的人物である谷村一太郎。谷村の商才が一番冴(さ)えたのはやはり第1次大戦景気のころだ。 「欧州大戦によるわが国財界の興隆は、あたかも洪水の如く黄金の波濤をもって全土をおおう感があったが、谷村はこの好機を巧みに利用して、ついに巨利を博すとともに、銀行の基礎を盤石の重きに置いたのである」(和田喜一郎著「華城事業界之名流」) 谷村一太郎は富山県福光の名望家に生まれた。父谷村友吉は大隈重信侯の大の崇拝者で自宅へ招いたこともある。一太郎は初め慶応義塾に入るが、父の意向が強く働いて早稲田に転じ、卒業後は改進党系の中越鉄道に入社、支配人として敏腕をふるう。そのかたわら政界進出を画策し、同24年には郡会議員に出馬する。 谷村が大阪へ出るのは父友吉が大阪の巨商初代藤本清兵衛とじっ懇だったからである。布の商いか、米の取引関係かで、2人は親しかった。一太郎が大阪に出る時期ははっきりしないが、「大阪財界人物史」はこう記している。 「明治28年ごろ郷里を出て、その父祖の代より慇懃(いんぎん)なりし、藤本清兵衛氏を頼るべく来阪したりき。藤本氏は深く氏の俊敏の才を愛し、年歯三十に満たざる一青年なるに、挙げてその関係せる泉州紡績の支配人とした」 また、藤本ビルブローカー銀行の創設者、2代目藤本清兵衛は「大和証券百年史」の中で一太郎との出会いについてこう語っている。 「明治26年か、4、5年前富山の福光のお宅で逢ったのが始めてで、その2~3年後に大阪で働きたいのでどこかへ世話をせよとの依頼を受けて、幸い老生が関係する泉州紡績会社の支配人として就職されたのであった。その以前、平野の鉱泉会社へしばらくの間いってもらっていたと思う」 宿願がかなって意気盛んだった谷村だが、泉州紡績が岸和田紡績と合併することになり、同社を退社、藤本ビルブローカー銀行に入る。明治37年、33歳のことだ。そして2年後、株式会社に改組されると取締役に就任。日露戦勝景気の真っ最中で、当時2代目清兵衛の名は経済界に隆々ととどろき、その秘書役であり参謀である谷村も飛ぶ鳥を落とすほどの勢いがあった。だが、バブルははじける。勢いがよかった分だけ強くたたき落とされる。成り金王鈴久(鈴木久五郎)が急転直下、元の歩に逆戻りするころである。  「藤本氏をして九天より九地に陥らしめたのは是非もなきことなれども、谷村はこの波乱重畳裏にありて、日夜奮闘やまず、ついに渦巻く大波を打ちのめすとともに組織を新たにし、専務取締役として横田義夫とともに会長平賀敏を助け漸次盛況に向かい…」(「大阪財界人物史」)。 回復基調にあったところへ欧州大戦バブル景気の到来で藤本ビルブローカー銀行は空前の好況を謳歌する。この時とばかり谷村は藤本や平賀の知遇に報いるべく奮戦する。 だが、バブルの後には必ずパニックが待ち受けている。昭和金融恐慌の勃発である。一流銀行でさえ倒産する惨状を呈するが、この時も谷村の才覚がひときわ冴える。 「藤本ビルブローカー銀行は非常な打撃を受けながら猛然として陣容を乱すことなく今日なお華城(大阪)財界の一隅に壮観をなすことは、氏の識見の明と堅忍の勇と非凡の手腕に負うところ多きことを是認し得られるであろう」(「華城事業界之名流」) 谷村は万巻の蔵書を有し、京都大学付属図書館に谷村文庫ができている。

信条 ・書物は道楽と思われるほどあさった。珍籍があれば千金をいとわぬ風で、交友には学者が多かった ・読書による博識と外遊による知見の増大は藤本ビルブローカー銀行の業務を拡大する原動力となった(大和証券百年史) ・財界まれにみる品行端正の人にして終日巻を手より放たず。談論を最も得意とす(大阪財界人物史)

-- 以上は https://www.nikkei.com/article/DGXMZO11530920R10C17A1000000/ 日本経済新聞 2017年1月28日 の記事 [2]----

谷村文庫

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脚注

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  1. ^ 人物検索 谷村一太郎”. 徳富蘇峰記念館. 2024年9月30日閲覧。
  2. ^ a b c d 市場経済研究所代表 鍋島高明 (2017年1月28日). “谷村一太郎氏、大和証券の基礎を盤石に”. 日本経済新聞. 2024年9月30日閲覧。

参考文献

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関連項目

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