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利用者:加藤勝憲/江戸時代の出版 五十川了庵

五十川了庵(いそかわりょうあん、1573年10月25日-1661年)は、慶長から江戸時代初期の医師。細川興元のもとで『太平記』を、また徳川家康の命で『東鑑』を冨春堂の屋号で刊行した[1]

五十川了庵は医学を曲直瀬正盛に学んだ。江戸三百年太平の基礎を築いた武将徳川家康(1542年 - 1616年)はまた、文事を好む人でもあった。伏見滞在中の1599年(慶長4年)より同11年の間、当時最先端の活字印刷術を用いてさまざまな出版を行う。いわゆる伏見版である。朝鮮半島由来のこの新技術で制作された本を一般に古活字版と呼ぶが、それらは、書物の風格・文化史的意義等から、きわめて高く評価されている。

東鑑は小田原北条氏伝来の古写本を基とし、富春堂五十川了庵が1603年(慶長8年)に刊行に着手、1605年(慶長10年)3月に完成した(徳川実紀・鵞峰文集)。


作品

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出典

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参考文献

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