利用者:儀同三司/sandbox
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藤原兼光(ふじわらの かねみつ)とは平安時代中期の軍事貴族。文脩の子、千常の孫、秀郷の曾孫である。官位は従五位下・鎮守府将軍・阿波守・左馬允。
概要
[編集]時期不明ながら鎮守府将軍に任ぜられる。1008年正月四日兼光は藤原道長とその子頼通、教通に馬を献上する。1012年、再び鎮守府将軍に任官。1012年10月21日、兼光は再び藤原道長に馬を献上。平忠常の乱が起きた際、忠常は下野の藤原兼光を通じて追討使に講和への意志を伝え兼光はそれを京へ伝える。京では後一条天皇から、兼光に忠常の所在を問い質してはどうかという意見が下される。乱の後、藤原兼光は忠常の乱への同与の風聞があり6月13日に出家。
官暦
[編集]阿波守(結城系図) 従五位下左馬允・鎮守府将軍(小山系図)
系図
[編集]父藤原文脩
母 不詳
子 正頼
頼行
行範
貞光