利用者:佐藤ラーメン二郎/sandbox
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五十稲荷神社 | |
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所在地 | 東京都千代田区神田小川町3-9-1 |
主祭神 | 倉稲魂命 |
社格等 | 無格社 |
創建 | 不詳 |
別名 | 栄寿稲荷 |
例祭 | 五十の縁日 |
地図 |
Tokyo city |
五十稲荷神社(ごとおいなりじんじゃ)は、東京都千代田区神田小川町にある神社である。通称、五十稲荷。
歴史
[編集]- 前史~江戸期
慶長年間(1596~1615)に、伏見稲荷大社から分霊して祀られたのが発祥。安産利益があるとされ徳川家からも信仰されていたという。正徳年間(1711~1716)、当地が戸田長戸守邸となり、屋敷神として祀られていた[1]。足利において織物市が五と十の日に開かれていたことに由来して当地でも月次祭が行われた。同日においては一般に門戸開放して、多くの参詣者を招き入れていた。俗称、「五十の縁日」とよばれて繁盛した[2]。
- 明治近代以降
明治五年、公認の社に列せられた[2]。大正関東大震災では全焼。昭和期に入り、現在地に移転・再建。昭和二十年、戦災で社殿焼失、翌年再建された[1]。
- 戦後現代史
昭和二十一年、仮社殿・社務所再建、復活祭執行。檜造玉垣建設ほか改装再整備された。五十講崇敬会を組織。昭和三十七年には檜造鳥居建立。昭和五十四年には鉄筋コンクリート造鳥居が再建され、竣工祭執行[2]。
祭事・年中行事
[編集]正徳の頃に戸田領足利にて織物市を五と十の付く日に開かれているのをならい、その日にの祭日、初午祭には門戸を開放していた。明治時代では、一年を通し五と十の付く日は縁日とし、「五十の縁日」と呼ばれ、大いに賑わった[2]。
氏子地域
[編集]氏子地域のない崇敬神社となっている[1]。
所在地・交通
[編集]東京都千代田区神田小川町3-9-1
脚注
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 東京都神社庁『東京都神社名鑑 上巻』東京都神社庁(1986年)
- 佐藤テツ「東京街角 お地蔵・稲荷・石塔めぐり-散策地図付き-」(2013年)
- 千代田区教育委員会 『千會代田区の稲荷:区内報告書』(2008年)
- 『東京名所図會 神田区の部』陸書房(1968年)