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利用者:三知庵主人

三知庵主人
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奉安堂大石寺
奉安堂
三門
三門
三門
五重塔
五重塔
客殿
客殿
六壷
境内(広布の広場)
広布坊
広布坊常灯坊

ようこそ三知庵へ。しばし談話を致さん。

立正安国論

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文応元年7月16日 日蓮

  • 旅客来たりて嘆いて曰く、近年より近日に至るまで[1]、天変・地夭・飢饉・疫癘、遍く天下に満ち、広く地上に迸(はびこ)る。牛馬巷に斃(たお)れ、骸骨路に充てり。…是何なる禍に依り、是何なる誤りに由るや。
  • 主人の曰く、独り此の事を愁ひて胸臆(くおく)に憤悱(ふんぴ)す。客来たりて共に嘆く、屢(しばしば)談話を致さん。…倩(つらつら)微管を傾け、聊か経文を披きたるに、世皆正に背き、人悉く悪に帰す。故に善神国を捨てて相去り、聖人所を辞して還らず。是を以て魔来たり鬼来たり、災起こり難起こる。…
  • 客の曰く、…神聖去り辞し、災難並び起こるとは何れの経に出でたるや。其の証拠を聞かん。
  • 主人の曰く、其の文繁多にして其の証弘博(ぐはく)なり。金光明経に云はく「…」已上。大集経に云はく「…」已上。仁王経に云はく「…」已上。薬師経に云はく「…」已上。仁王経に云はく「…」と。大集経に云はく「…」已上。夫れ四経の文朗らかなり、万人誰か疑はん。而るに盲瞽の輩、迷惑の人、妄りに邪説を信じて正教を弁へず。故に天下世上諸仏衆経に於て、捨離の心を生じて擁護の志無し。仍って善神聖人国を捨て所を去る。是を以て悪鬼外道災を成し難を致すなり。
  • 客色を作して曰く、…誰か一代の教を褊(さみ)し三宝の跡を廃すと謂はんや。若し其の証有らば委しく其の故を聞かん。
  • 主人喩して曰く、…法師は諂曲(てんごく)にして人倫を迷惑し、王臣は不覚にして邪正を弁ふること無し。仁王経に云はく「…」已上。涅槃経に云はく「…」已上。法華経に云はく「…」已上。涅槃経に云はく「…」已上。…悪侶を誡めずんば豈善事を成さんや。
  • 客猶憤りて曰く、…何ぞ妄言を吐きて強ちに誹謗を成し、誰人を以て悪比丘と謂ふや、委細に聞かんと欲す。
  • 主人の曰く、後鳥羽院の御宇に法然といふもの有り、選択集を作る。則ち一代の聖教を破し、遍く十方の衆生を迷はす。其の選択に云はく「…」已上。…則ち教主を忘れて西土の仏駄を貴び、付嘱を抛ちて東方の如来を閣き、唯四巻三部の経典を専らにして空しく一代五時の妙典を抛つ。…是を以て、住持の聖僧行きて帰らず、守護の善神去りて来たること無し。是偏に法然の選択に依るなり。悲しいかな、数十年の間、百千万の人、魔縁に蕩されて多く仏教に迷へり。傍を好んで正を忘る、善神怒りを成さざらんや。円を捨てて偏を好む、悪鬼便りを得ざらんや。如かず、彼の万祈を修せんよりは、此の一凶を禁ぜんには。
  • 客殊に色を作して曰く、…而るに忝くも釈尊の教へを疎かにして、恣に弥陀の文を譏る。何ぞ近年の災を以て聖代の時に課せ、強ちに先師を毀り、更に聖人を罵るや。…
  • 主人咲み、止めて曰く、…善言を聞いて悪言と思ひ、謗者を指して聖人と謂ひ、正師を疑って悪侶に擬す。其の迷ひ誠に深く、其の罪浅からず。事の起こりを聞け、委しく其の趣を談ぜん。…聊か先例を引いて汝の迷ひを悟すべし。止観の第二に史記を引いて云はく「…」と。弘決の第二に此の文を釈するに、左伝を引いて曰く「…」已上。又慈覚大師の入唐巡礼記を案ずるに云はく「…」已上趣意。此を以て之を惟ふに、法然は後鳥羽院の御宇、建仁年中の者なり。彼の院の御事既に眼前に在り。然れば則ち大唐に例を残し吾が朝に証を顕はす。汝疑ふこと莫れ汝怪しむこと莫れ。唯須く凶を捨てて善に帰し源を塞ぎ根を截るべし。
  • 客聊か和らぎて曰く、未だ淵底を究めざれども数其の趣を知る。…汝賤しき身を以て輙く莠言を吐く。其の義余り有り、其の理謂れ無し。
  • 主人の曰く、予少量たりと雖も忝くも大乗を学す。蒼蠅驥尾に附して万里を渡り、碧蘿松頭に懸かりて千尋を延ぶ。弟子、一仏の子と生まれて諸経の王に事ふ。何ぞ仏法の衰微を見て心情の哀惜を起こさざらんや。その上涅槃経に云はく「…」と。余、善比丘の身たらずと雖も「仏法中怨」の責を遁れんが為に唯大綱を撮って粗一端を示す。…
  • 客則ち和らぎて曰く、…夫れ国は法に依って昌え、法は人に因って貴し。国亡び人滅せば仏を誰か崇むべき、法を誰か信ずべきや。先ず国家を祈りて須く仏法を立つべし。若し災を消し難を止むるの術有らば聞かんと欲す。
  • 主人の曰く、余は是頑愚にして敢へて賢を存せず。唯経文に就いて聊所存を述べん。…即ち涅槃経に云はく「…」已上。仁王経に云はく「…」已上。涅槃経に云はく「…」と。法華経に云はく「…」已上。夫れ経文顕然なり。私の詞何ぞ加へん。…而るに謗法の族、正道の人を忘れ、剰へ法然の選択に依って弥愚癡の盲瞽を増す。…嗟呼悲しいかな如来誠諦の禁言に背くこと。哀れなるかな愚侶迷惑の麁語に随ふこと。早く天下の静謐を思はば須く国中の謗法を断つべし。
  • 客の曰く、若し謗法の輩を断じ、若し仏禁の違を絶たんには、彼の経文の如く斬罪に行なふべきか。若し然らば殺害相加へ罪業何が為んや。則ち大集経に云はく「…」と。料り知んぬ、善悪を論ぜず是非を択ぶこと無く、僧侶為らんに於ては供養を展ぶべし。何ぞ其の子を打辱して忝くも其の父を悲哀せしめん。彼の竹杖の目連尊者を害せしや永く無間の底に沈み、提婆達多の蓮華比丘尼を殺せしや久しく阿鼻の焔に咽ぶ。先証斯れ明らかなり、後昆最も恐れあり。謗法を誡むるに似て既に禁言を破る。此の事信じ難し、如何が意得んや。
  • 主人の曰く、客明らかに経文を見て猶斯の言を成す。心の及ばざるか、理の通ぜざるか。全く仏子を禁むるに非ず、唯偏に謗法を悪むなり。夫釈迦の以前の仏教は其の罪を斬ると雖も、能仁の以後の経説は則ち其の施を止む。然れば則ち四海万邦一切の四衆、其の悪に施さずして皆此の善に帰せば、何なる難か並び起こり何なる災か競ひ来たらん。
  • 客則ち席を避け襟を刷ひて曰く、…今主人広く経文を引いて明らかに理非を示す。故に妄執既に飜り、耳目数朗らかなり。所詮国土泰平天下安穏は、一人より万民に至るまで好む所なり楽ふ所なり。早く一闡提の施を止め、永く衆僧尼の供を致し、仏海の白浪を収め、法山の緑林を截らば、世は義農の世と成り国は唐虞の国と為らん。然して後法水の浅深を斟酌し、仏家の棟梁を崇重せん。
  • 主人悦んで曰く、鳩化して鷹と為り、雀変じて蛤と為る。悦ばしいかな、汝欄室の友に交はりて麻畝の性と成る。…若し先づ国土を安んじて現当を祈らんと欲せば、速やかに情慮を廻らし怱いで対治を加へよ。所以は何。薬師経の七難の内、五難忽ちに起こり二難猶残れり。所以他国侵逼の難・自界叛逆の難なり。…汝早く信仰の寸心を改めて速やかに実乗の一善に帰せよ。然れば則ち三界は皆仏国なり、仏国其れ衰へんや。十方は悉く宝土なり、宝土何ぞ壊れんや。…
  • 客の曰く、…弥貴公の慈誨を仰ぎ、益愚客の癡心を開き、速やかに対治を廻らして早く泰平を致し、先づ生前を安んじ更に没後を扶けん。唯我が信ずるのみに非ず、又他の誤りをも誡めんのみ。

安国論奥書

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文永6年12月8日 日蓮

…去ぬる正嘉元年太歳丁巳八月二十三日戌亥の剋の大地震を見て之を勘ふ。其の後文応元年太歳庚申七月十六日を以て、宿谷禅門に付して故最明寺入道殿に奉れり。…西方大蒙古国より我が朝を襲ふべきの由牒状之を渡す。…之に準じて之を思ふに未来も亦然るべきか。此の書は徴(しるし)有る文なり。是偏に日蓮の力に非ず、法華経の真文の感応の致す所か。…

安国論愚記

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正徳5年6月24日 日寛

将にこの論を分たんとするに、凡そ十段あり。…当に知るべし、賓主問答を仮立したまう所以は愚者をして解し易からしめんが為なり。而るにまた例あり。…

第一 災難の来由

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  • 旅客来りて嘆いて曰く文

音義の如く然るべきなり。下去の「客」の字は漢音を用ゆべし。

  • 近年より近日に至るまで文

正嘉元巳年より文応元申歳に至る、已上四年なり。

  • 遍く天下に満ち等文

一国二国の飢饉に非ず、天下一同の飢饉なり。故に「遍く満ち」というなり。一邑一郡の疫癘に非ず、日本一同の疫癘なり。故に「広く迸る」というなり。

  • 牛馬巷に斃れ文

仏の死を涅槃といい、衆生の死を死といい、而して天子に崩御といい、諸候に薨といい、太夫に不禄といい、智人に遷化といい或は逝去といい、将軍に他界といい、平人に死といいまた遠行といい、牛馬の死を斃というなり。若し人、不義を行えば則ち牛馬に同じ。故に左伝に云く「多く不義を行えば必ず自ら斃る」と云云。

  • 客来って共に嘆く屡談話を致さん

科註の点思わざるなり。「談話」を客に属する故なり。

  • 世皆正に背き人悉く邪悪に帰す文

今この八字肝要なり。別しては「背正帰邪(悪)」の四字肝心なり。邪正の相対は題号の下の如し。正とは三箇の秘法の事なり。これ元意なり。

  • 聖人は所を辞して文

三略の下に云く「賢去れば則ち国微え、聖去れば則ち国乖く」と已上。世間の聖人猶爾なり。況や出世の聖者をや。今はこれ出世の聖人なり。

  • 災起り難起る文

当に知るべし、災難の来由に具に三意を含む。一には背正帰邪の故に、二には神聖去辞の故に、三には魔鬼来り乱るるが故に云云。

第二 災難の証拠の下

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  • 其の証弘博なり文

文証広大にして通じて諸経に普し、故に「弘博」というなり。

第三 正法を誹謗するの由の下

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第四 正しく一凶の所帰を明かすの下

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第五 和漢の例を出すの下

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第六 勘状の奏否の下

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第七 施を止めて命を断つの証の下

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第八 斬罪の用否の下

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第九 疑を断じて信を生ずの下

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第十 正に帰して領納すの下

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大石寺ギャラリー

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脚注

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  1. ^ 正嘉元年(1257年)から文応元年(1260年)まで(『安国論奥書』による)

参考文献

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  • 『日蓮正宗総本山大石寺写真集』(大石寺、2003年10月)
    • 大石寺建造物解説
  • 『日蓮正宗入門』(大石寺、2002年1月)
  • 『宗旨建立と750年の法灯』(大石寺、2003年3月)
  • 『日興上人・日目上人正伝』(大石寺、1991年5月)
  • 『日蓮正宗富士年表』(富士学林、1990年3月)
  • 堀米日淳編 『日蓮正宗聖典』(細井日達発行、1978年12月)