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利用者:三畔/test

ドラえもん > 三畔/test

海賊版ドラえもん(かいぞくばんドラえもん)とは、藤子・F・不二雄漫画ドラえもん』の海賊版作品をさす。

香港[編集]

日本の小学館の学習雑誌にて『ドラえもん』の連載が始まり、テレビアニメ第1作が放送開始してまもない1973年5月、日本ですら単行本化がなされていないころ、香港の兒童樂園社が児童向け漫画雑誌『兒童樂園』にて『叮噹』の題で連載開始[1]。これが日本国外における初の『ドラえもん』刊行事例といわれる。日本の原作の複写ではなく、線画をトレスあるいは模写した上に水彩着色を施したもので、まれに一部の日本要素を当時の英領香港風に書き換えることも。好評を博し1981年5月まで連載を続け、薄本形式で90巻以上の単行本が刊行された。中文語彙「叮噹」(広東語: ding1 dong1)は英語「ding dong」の音訳語であり、『叮噹』のロゴには鈴の意匠が含まれている。兒童樂園版『叮噹』の人気にあやかろうと、他社から『小小叮噹』や『叮叮噹』といった海賊版の海賊版までもが刊行される始末。兒童樂園版『叮噹』は香港のみならず台湾やマカオ、シンガポールでも販売され、アジア各地にドラえもん人気を拡散する端緒となった。

なお兒童樂園版『叮噹』が1981年5月に突如連載終了する直前、1981年4月に香港海豹叢書公司が単行本『叮噹』を刊行開始し、1981年10月には日本の漫画を多数掲載した漫画雑誌『漫畫周刊』を創刊。その単行本と雑誌の中で、海豹叢書は日本の出版社とライセンス契約締結済みであることを宣言している。当時香港では台湾の海賊版ドラえもん単行本『小叮噹』が流通していたが、それが台湾風の中文訳であることを海豹叢書が嫌い、海豹叢書版『叮噹』にて原作の複写を製本した単行本『叮噹』を刊行したという。海賊版全盛期の香港において海豹叢書が日本の多数の出版社と同時にライセンス契約を締結したということについては、今となっては懐疑的な目が向けられている。

出典[編集]

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