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利用者:ワーナー成増/田村順子の証言

文春オンラインの記事について、アレコレ考えたこと、思ったことをまとめてみました。

登場人物

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  • 田村順子 - 銀座の高級クラブ「順子」のオーナーママ。
  • タカギくん - 店の運転手。薬師丸ひろ子の写真を撮影。
  • 角川春樹 - 店の常連客。当時、角川書店の社長。

筆者・欠端大林のスタンス

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田村順子の発言に対し、積極的に肯定するわけでもなく、微妙な距離感を保っている。ずるい立ち位置。

田村証言の信頼度を上げるための取材、電話取材さえしていない。例えば、角川春樹本人、角川事務所、写真を撮ったというタカギくん、角川春樹の同行者とか。マスコミの常套手段であるノーコメントを引き出すためだけの取材すらしていない。もちろん、タカギくんが撮ったとされる写真(当時の写真ならネガが存在しただろう)の確認もしていない。

一言で言って、虚像の角川春樹に依拠した記事になっている。角川春樹の有能な右腕(見城徹)は、どう考えていたのだろうか。もう、40年以上経っているのだから、冷静な記事が読みたかった。

第一発見者

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フジテレビで日曜日の朝に放送している『ボクらの時代』の中で、女優の橋本環奈は〔福岡で〕月に1回スカウトされていたと話していた。一般人には、なかなか理解し難いが、美人さんに生まれるとあまり特別でもないらしい。というのは、別の番組で別のタレントさんも、原宿だったか、渋谷だったかで、毎週スカウトされていたと話していた。

薬師丸の話に戻ると、タカギくんを「第一発見者」とお墨付きを与えたのは誰なのか? 誰が、そんな、お墨付きを与えることができるのか? タカギくんが見つけた、1か月、1週間、1日前に、別のスカウトが見つけていないと、誰が言えるんでしょうか? 特に青山のような都会のド真ん中なら。どうも、天下の文春が、こんな間抜けな表現「第一発見者」を見逃したのか、不思議でしょうがない。

銀座の流儀

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順子ママ「あの写真の女の子が優勝したのね」、角川春樹「うん、あの写真が役に立ったよ、ありがとう」と会話があったら、少なくとも、「この記事の中」では話として成立している。しかし、順子ママが、角川春樹にオーディション後、確認をしたという記述もない。逆に言えば、確認していない以上、「この記事の中」でも話として成立していない。

なんで、順子ママは確認していないのだろう? これが「銀座の流儀」と呼ばれているものなのだろうか? それならそれで、墓の中まで「秘密」は持っていけば良いのに、なんで告白、それも自分の手柄話として、店の客の「秘密」を暴露するんだろう? 「銀座の流儀」も、40年以上経過したから効力を失ったのかしら。

全否定ではなく

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今後、タカギくんの正体が、カメラマン・会田我路であるとか、会田我路のスタッフであることが判明すれば、俄然、この記事の重要性は増すと思われます。ただ、現状はウィキペディアに加筆するに足る資料とはなっていないと、私は考えています。

カメラマン・会田我路は、1990年前後に「薬師丸をスカウトしたのは自分だ」と週刊誌で記事になっていました。私の記憶では、続報はなく、あまり話題にもなっていませんでした。さすがに、30年以上の間、根拠ない嘘を言い続けるとは思えないので、(主張は100パーセント正しくはないかもしれないけれど)ある程度は真実なんだろうと考えます。

関連記事

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  • 武藤起一「Wの悲喜劇 - 本物の女優への道程」『映画愛: 俳優編』大栄出版、1993年5月18日、244頁。ISBN 978-4-88682-559-9。「(スカウトされたのはいくつのときですか。)13歳。中学生ですね。(中略)それで母がね、「オーディションに落ちれば、写真を送った人もあきらめてくれるから」と言って(後略)」 
  • 鈴木啓之『東京レコード散歩 : 昭和歌謡の風景をたずねて』東京ニュース通信社、2021年3月、51頁。ISBN 978-4-06-523449-5。「後に薬師丸ひろ子が東京バザールでスカウトされたことがあると話しているのを聞いて、同い年のファンとしては妙にうれしかった。」 
  • 【角川三人娘】角川春樹氏が振り返る 可能性を感じた薬師丸ひろ子の目力”. NEWSポストセブン. 小学館 (2022年3月6日). 2022年6月26日閲覧。 “ある小さな芸能事務所が街でスカウトした女の子たちのスナップ写真を送ってきて、その中に薬師丸もいて、(後略)。”
  • 薬師丸ひろ子、かとうれいこを発掘。美少女写真家が語る「ダイヤの原石」の探し方”. 月刊SPA!. 扶桑社 (2020年8月26日). 2022年7月16日閲覧。 “ガラス張りの店の前を通りがかったのが薬師丸ひろ子だった。当時、彼女は北青山の港区立青山中学の1年生だったので、地元を歩いていたんですね。”