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利用者:ラインズマン北/サブページ

北京オリンピックにおける陸上競技は、2008年9月8日から9月17日まで北京国家体育場で実施された。

競技結果

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男子

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種目
100 m T11 ブラジルの旗 ブラジル
ルーカス・プラド
アンゴラの旗 アンゴラ
ジョセ・アルマンド
フランスの旗 フランス
トレゾア・アクンダ
100 m T12 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ジャミソン・ジョサイア
ナイジェリアの旗 ナイジェリア
アデクンレ・アデソジ
中華人民共和国の旗 中国
楊育青
100 m T13 アイルランドの旗 アイルランド
ジェイソン・スミス
ロシアの旗 ロシア
アレクセイ・ラブジン
 キューバ
ルイス・フェリペ・グティエレス
100 m T35 中華人民共和国の旗 中国
楊森
中華人民共和国の旗 中国
傅昕瀚
南アフリカ共和国の旗 南アフリカ共和国
テボホ・マクガラガディ
100 m T36  ウクライナ
ロマン・パヴリク
イギリスの旗 イギリス
ベン・ラッシュグローブ
香港の旗 香港
蘇樺偉
100 m T37 南アフリカ共和国の旗 南アフリカ共和国
ファニー・ヴァン・デル・マ-ヴァ
中華人民共和国の旗 中国
馬玉喜
アルジェリアの旗 アルジェリア
ソフィアネ・ハムディ
100 m T38 オーストラリアの旗 オーストラリア
エヴァン・オハンロン
中華人民共和国の旗 中国
周文俊
 ウクライナ
ミキータ・セニク
100 m T42 カナダの旗 カナダ
アール・コナー
ドイツの旗 ドイツ
ハインリッヒ・ポポウ
イギリスの旗 イギリス
ジョン・マクフォール
100 m T44 南アフリカ共和国の旗 南アフリカ共和国
オスカー・ピストリウス
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ジェローム・シングルトン
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ブライアン・Frasure
100 m T46 オーストラリアの旗 オーストラリア
ヒース・フランシス
パプアニューギニアの旗 パプアニューギニア
フランシス・コンパオン
ブラジルの旗 ブラジル
ヨハンソン・ナシメント
100 m T52 カナダの旗 カナダ
ディーン・バージェロン
スイスの旗 スイス
ビート・ボッシュ
カナダの旗 カナダ
アンドレ・ボードイン
100 m T53 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ジョシュ・ジョージ
イギリスの旗 イギリス
ミッキー・ブッシェル
中華人民共和国の旗 中国
余世然
100 m T54  フィンランド
レオ=ペッカ・タハティ
タイ王国の旗 タイ
Siachon Konjen
タイ王国の旗 タイ
スパチャイ・コイサブ
200 m T11 ブラジルの旗 ブラジル
ルーカス・プラド
アンゴラの旗 アンゴラ
ジョセ・アルマンド
 キューバ
アリアン・イザナ
200 m T12 南アフリカ共和国の旗 南アフリカ共和国
ヒルトン・ランゲンホーヴェン
中華人民共和国の旗 中国
李岩松
中華人民共和国の旗 中国
楊育青
200 m T13 アイルランドの旗 アイルランド
ジェイソン・スミス
ロシアの旗 ロシア
アレクセイ・ラブジン
アゼルバイジャンの旗 アゼルバイジャン
ヴガル・メーディエフ
200 m T36 香港の旗 香港
蘇樺偉
 ウクライナ
ロマン・パヴリク
中華人民共和国の旗 中国
車冕
200 m T37 南アフリカ共和国の旗 南アフリカ共和国
ファニー・ヴァン・デル・マ-ヴァ
アルジェリアの旗 アルジェリア
ソフィアネ・ハムディ
中華人民共和国の旗 中国
馬玉喜
200 m T38 オーストラリアの旗 オーストラリア
エヴァン・オハンロン
中華人民共和国の旗 中国
周文俊
 ウクライナ
ミキータ・セニク
200 m T44 南アフリカ共和国の旗 南アフリカ共和国
オスカー・ピストリウス
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ジム・ボブ・ビッゼル
イギリスの旗 イギリス
イアン・ジョーンズ
200 m T46 オーストラリアの旗 オーストラリア
ヒース・フランシス
キプロスの旗 キプロス
アントニス・アレスティ
 キューバ
エッティアム・カルデロン
200 m T52 カナダの旗 カナダ
ディーン・バージェロン
スイスの旗 スイス
ビート・ボッシュ
タイ王国の旗 タイ
Peth Rungrsi
200 m T53 中華人民共和国の旗 中国
余世然
オーストラリアの旗 オーストラリア
リチャード・コールマン
大韓民国の旗 韓国
洪錫万
200 m T54 中華人民共和国の旗 中国
張立新
タイ王国の旗 タイ
Saichon Konjen
 フィンランド
レオ=ペッカ・タハティ
400 m T11 ブラジルの旗 ブラジル
ルーカス・プラド
アンゴラの旗 アンゴラ
ジョセ・アルマンド
 キューバ
オレクサンドル・Iwanjuchin
400 m T12 ドイツの旗 ドイツ
マティアス・シュレーダー
ポルトガルの旗 ポルトガル
ルイス・ゴンサウヴェス
アゼルバイジャンの旗 アゼルバイジャン
ルサ・オスマノフ
400 m T13  キューバ
ルイス・マヌエル・ガラーノ
 キューバ
フレディ・Durruthy
ギリシャの旗 ギリシャ
イオニアス・プロトス
400 m T36  ウクライナ
ロマン・パヴリク
ロシアの旗 ロシア
アルテム・アレフイェフ
中華人民共和国の旗 中国
車冕
400 m T38 チュニジアの旗 チュニジア
ファーハット・シャイダ
チュニジアの旗 チュニジア
アベス・サイディ
 ウクライナ
アンドレイ・Onufrijenko
400 m T44 南アフリカ共和国の旗 南アフリカ共和国
オスカー・ピストリウス
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ジム・ボブ・ビッゼル
イギリスの旗 イギリス
イアン・ジョーンズ
400 m T46 オーストラリアの旗 オーストラリア
ヒース・フランシス
キプロスの旗 キプロス
アントニス・アレスティ
ベネズエラの旗 ベネズエラ
サムエル・コルメナレス
400 m T52 日本の旗 日本
伊藤智也
日本の旗 日本
高田稔浩
カナダの旗 カナダ
ディーン・べンガーロン
400 m T53 大韓民国の旗 韓国
洪錫万
中華人民共和国の旗 中国
李虎召
オーストラリアの旗 オーストラリア
リチャード・コールマン
400 m T54 中華人民共和国の旗 中国
張立新
タイ王国の旗 タイ
Saichon Konjen
イギリスの旗 イギリス
デイヴィッド・ウェイア
800 m T12 チュニジアの旗 チュニジア
アブデルラヒム・Zhiou
 キューバ
ラサーロ・ラシッド・アギーラ
ブラジルの旗 ブラジル
オダイル・サントス
800 m T13 モロッコの旗 モロッコ
Abdelillah Mame
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ピーター・ゴットバルト・ジュニア
アルジェリアの旗 アルジェリア
Zine Eddine Sekhri
800 m T36 ロシアの旗 ロシア
アルテム・アレフイェフ
チュニジアの旗 チュニジア
何称恩
ロシアの旗 ロシア
Pavel Kharagezov
800 m T37 アイルランドの旗 アイルランド
マイケル・マクリップ
オーストラリアの旗 オーストラリア
ブラッド・スコット
フランスの旗 フランス
Djamel Mastouri
800 m T46 ポーランドの旗 ポーランド
Marcin Awizen
アルジェリアの旗 アルジェリア
サミル・ノウイオウア
スペインの旗 スペイン
Abderrahman Ait Khamouch
800 m T52 日本の旗 日本
伊藤智也
日本の旗 日本
高田稔浩
 オーストリア
トーマス・ガイアシュペヘラー
800 m T53 中華人民共和国の旗 中国
李虎召
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ジョシュ・ジョージ
大韓民国の旗 韓国
洪錫万
800 m T54 イギリスの旗 イギリス
デヴィッド・ウィアー
オーストラリアの旗 オーストラリア
カート・ファーンリー
タイ王国の旗 タイ
プラワット・ワホラム
1500 m T11 中華人民共和国の旗 中国
張振
 ケニア
サムエル・ムサイ・キマニ
カナダの旗 カナダ
ジェイソン・ダンカーリー
1500 m T13  ケニア
ヘンリー・キプロノ・キルワ
 キューバ
ラサーロ・ラシッド・アギーラ
スペインの旗 スペイン
イグナシオ・アヴィラ
1500 m T46  ケニア
アブラハム・チェルヨト・タルベイ
スペインの旗 スペイン
Abderrahman Ait Khamouch
アルジェリアの旗 アルジェリア
Samir Nouioua
1500 m T53 イギリスの旗 イギリス
デヴィッド・ウィアー
タイ王国の旗 タイ
プラワット・ワホラム
オーストラリアの旗 オーストラリア
カート・ファーンリー
5000 m T11 中華人民共和国の旗 中国
張振
 ケニア
フランシス・チュオ・カランジャ
 ケニア
ヘンリー・ワンヨンケ
5000 m T13  ケニア
ヘンリー・キプロノ・キルワ
モロッコの旗 モロッコ
ユーセフ・ベニバラヒム
ブラジルの旗 ブラジル
オダイル・サントス
5000 m T46  ケニア
アブラハム・チェルヨト・タルベイ
チュニジアの旗 チュニジア
Mohamed Fouzai
メキシコの旗 メキシコ
マリオ・サンティラン
5000 m T54 タイ王国の旗 タイ
プラワット・ワホラム
オーストラリアの旗 オーストラリア
カート・ファーンリー
イギリスの旗 イギリス
デヴィッド・ウィアー
10000 m T12  ケニア
ヘンリー・キプロノ・キルワ
チュニジアの旗 チュニジア
アブデルラヒム・Zhiou
ブラジルの旗 ブラジル
オダイル・サントス
マラソン T12 中華人民共和国の旗 中国
祁順
 コロンビア
エルキン・セルナ
ロシアの旗 ロシア
イルダール・ポミカロフ
マラソン T46 メキシコの旗 メキシコ
マリオ・サンティラン
ブラジルの旗 ブラジル
ティト・セナ
イタリアの旗 イタリア
ワルター・エンドリッツィ
マラソン T52  オーストリア
トーマス・ガイアシュペヘラー
日本の旗 日本
上与那原寛和
日本の旗 日本
高田稔浩
マラソン T54 オーストラリアの旗 オーストラリア
カート・ファーンリー
日本の旗 日本
笹原廣喜
南アフリカ共和国の旗 南アフリカ共和国
エレンスト・ヴァン・ダイク
4×100 m T11–T13 中華人民共和国の旗 中国
劉向坤
李強
楊育青
李岩松
ベネズエラの旗 ベネズエラ
ヨルダニ・シルヴァ
リカルド・サンタナ
オドゥバル・ダザ
フェルナンド・フェレール
フランスの旗 フランス
トレゾア・アクンダ
パスクアーレ・ギャロ
ステファン・ボッツォーロ
ロナン・パリエ
4×100 m T35–T38 オーストラリアの旗 オーストラリア
エヴァン・オハンロン
ダレン・Thrupp
クリストファー・マリンズ
ティモシー・サリヴァン
中華人民共和国の旗 中国
車冕
周文俊
楊晨
馬玉喜
チュニジアの旗 チュニジア
ファレス・ハムディ
アベス・サイディ
モハメド・チャルミ
ファーハット・シャイダ
4×100 m T42–T46 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ジム・ボブ・ビッゼル
ブライアン・Frasure
ケイシー・ティッブス
ジェローム・シングルトン
ブラジルの旗 ブラジル
アンドレ・ルイス・オリヴェイラ
ヨハンソン・ナシメント
クラウデミル・サントス
アラン・オリヴェイラ
オーストラリアの旗 オーストラリア
ヒース・フランシス
ステファン・ウィルソン
アーロン・チャットマン
ポール・レイソン
4×100 m T53–T54 中華人民共和国の旗 中国
縦凱
趙驥
張立新
李虎召
タイ王国の旗 タイ
スパチャイ・コイサブ
プラワット・ワホラム
Pichet Krungget
Saichon Konjen
フランスの旗 フランス
ジュリアン・カソリ
ピエール・フェアバンク
アランン・ファス
デニス・レムニエ
走高跳 F44/46 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ジェフ・スキバ
オーストラリアの旗 オーストラリア
アーロン・チャットマン
中華人民共和国の旗 中国
陳鴻杰
走幅跳 F11 中華人民共和国の旗 中国
李端
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
レックス・ジレット
ギリシャの旗 ギリシャ
アタナシオス・バラカス
走幅跳 F12 南アフリカ共和国の旗 南アフリカ共和国
ヒルトン・ランデンホーヴェン
サウジアラビアの旗 サウジアラビア
オサマ・アルシャンキティ
アゼルバイジャンの旗 アゼルバイジャン
オレグ・パニンティン
走幅跳 F37–38 チュニジアの旗 チュニジア
ファーハット・シャイダ
パキスタンの旗 パキスタン
ハイデル・アリ
中華人民共和国の旗 中国
馬玉喜
走幅跳 F42/44 ドイツの旗 ドイツ
ヴォイテク・シス
日本の旗 日本
山本篤
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ケイシー・ティッブス
走幅跳 F46 フランスの旗 フランス
アルノー・アスマーニ
南アフリカ共和国の旗 南アフリカ共和国
デイヴィッド・ルース
中華人民共和国の旗 中国
李康勇
三段跳 F11 中華人民共和国の旗 中国
李端
アゼルバイジャンの旗 アゼルバイジャン
ゼイニディン・ビラロフ
スペインの旗 スペイン
ハビエル・ポラス
三段跳 F12 サウジアラビアの旗 サウジアラビア
オサマ・アルシャンキティ
 ウクライナ
イワン・キッシェンコ
アゼルバイジャンの旗 アゼルバイジャン
ウラジーミル・ザイェツ
クラブ投 F32/51 チュニジアの旗 チュニジア
ムラド・イドディ
イギリスの旗 イギリス
スティーブン・ミラー
 チェコ
ヤン・ヴァネク
円盤投 F11–12  ウクライナ
ワシル・リシュチンスキー
アルゼンチンの旗 アルゼンチン
 ウクライナ


朝山下 智徳(あさやました とものり、本名:山下 智徳、1982年10月2日 - )は、大阪府吹田市出身の力士。父親は落語家桂楽珍


大阪市立生野工業高等学校に入学するものの、2年時に中退。飲食店や、運送業などの職を転々としたのちに、キャバクラのボーイのバイトを始め、それをきっかけにホストとなった。その後父親が一ノ矢充と知り合いだったことからと父親と共に訪れた高砂部屋で出会った相撲に衝撃を受けて力士を目指すことになる。入門時は体重が58キロしかなく、スポーツ経験は中学時代に行っていたサッカーブレイクダンスほどしかなかったものの一ノ矢充の後押しもあって入門を果たす。その後は高砂部屋で厳しい練習の他、適正体重に到達するように食事や筋力トレーニングやに励み、新弟子検査の適正体重検査では制限の67キロを上回る68キロで通過することができた。他の試験にも合格を果たし、初となるホスト出身力士となった。

2008年夏場所に初土俵を踏み、初勝利を挙げたものの続く名古屋場所秋場所で5勝しか挙げることができなかった。秋場所が終了したのち一時逃走したが、すぐに復帰し以来休場が続いていた。その後再び逃走し連絡が取れなくなり、日本相撲協会は彼を引退したと発表した。