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戦闘群戦法(せんとうぐんせんぽう)とは、一般に第一次世界大戦中の西部戦線において各国軍で発達した歩兵戦術のことを指す。[1]
概説
[編集]語源
[編集]フランス軍が1917年9月に発布した教令を以て戦闘群戦法の創始であったとされる。[2]
ソンムの戦い以来フランス軍歩兵小隊は伝統的な小銃と銃剣に加えて1挺の軽機関銃と、擲弾銃、手榴弾等の多種の兵器を保有し、互いに編制の異なる2個の半小隊から構成されていた。一方の半小隊は擲弾分隊及び軽機関銃分隊から成り、他方は2個の散兵分隊から成っていた。[3]小隊は指揮官の声音による統制と展開後も掌握が可能な最大の単位であるとされ、[4]また小隊は突撃及び増援単位とされるなど、小隊は戦闘における基本単位として位置付けられていた。[5]
しかし、敵陣への突撃に当たっては鉄条網の破壊口を通過する必要性から突撃は実質的には半小隊を単位として行われ、陣内における紛戦もまた半小隊が単位となることが実況であったが、小隊内の両半小隊の編制が異なる前述の編制はこの趣旨に合致していなかった。[6] また、ドイツ軍は砲弾孔を積極的に利用し、また掩蔽を欠いた機関銃が定位置に固着することなく砲弾の落下地を避けて柔軟に転移することを認めていたことから、事前にその位置を予想し難い機関銃巣が各所に点在し、砲兵のみではその排除が困難であったが、[7]従来の戦闘方式では包囲は比較的大きな単位を以てするものとされていたため、[8]機関銃巣のような微細な目標が点在する戦場の様相に適合していなかった。[9]
1917年9月の教令では小隊内の2個の半小隊は編制が均質なものとなった。[10] それぞれの半小隊は軽機関銃分隊と擲弾散兵分隊から構成され、軽機関銃、擲弾銃、手榴弾等の兵器を固有に保有し、下士官の半小隊長の下でそれらの兵器及び機宜に適した敏活な機動や独断を駆使してある小範囲の戦闘を独力で遂行することが求められ、またこの半小隊は機関銃巣のような微細な目標を自己の軽機関銃や擲弾銃の火力で制圧し、擲弾散兵を側背に機動させることによって独力で処理することが出来た。[11]フランス軍はこの半小隊を戦闘群と呼称したことから、大戦を観察していた日本陸軍はこのような形式の歩兵小部隊戦術を戦闘群戦法と名付けた。
またドイツ軍やイギリス軍等においても歩兵小部隊戦術は独自の発達を遂げており、[12] 日本陸軍では戦闘群戦法に類似した特徴を有するこれらの諸方式もまた戦闘群戦法に包括された。[13]
運用
[編集]戦闘群戦法においては敵の機関銃巣に遭遇したならばまず軽機関銃の射撃によって制圧し、その掩護の下で戦闘群内の他の兵員は地形を縫って接近し、擲弾銃の射程に入れば擲弾射撃を加えて制圧を図る。その間に擲弾散兵はさらに近迫し、手榴弾の投擲距離に至れば手榴弾によって排除するか又は制圧し、機を見て白兵戦を挑んで制圧することが理想的な戦闘要領であるとされた。[14]もし戦闘群が独力で敵の抵抗を排除できなければ敵を自己の火力でその場に釘付けにし、隣接部隊もしくは増援部隊による包囲するものとされた。[15]
注
[編集]- ^ 見留[1923]、羽守[不明]及び臨時軍事調査委員編[1921]では英仏独を例示している
- ^ 参謀本部編[1924b], 124.
- ^ France Ministere De La Guerre編[1917], 395-396; 「各種調査会委員会文書・臨時軍事調査委員月報第三十一号」 アジア歴史資料センター Ref.A05021011300
- ^ France Ministere De La Guerre編[1917], 15.
- ^ France Ministere De La Guerre編[1917], 394-396; 参謀本部編[1924a], 112.
- ^ 「各種調査会委員会文書・臨時軍事調査委員月報第三十一号」 アジア歴史資料センター Ref.A05021011300
- ^ 参謀本部編[1924b], 30.
- ^ France Ministere De La Guerre編[1917]では小隊の独力による包囲が規定されておらず、中隊以上の大きな単位で行うものとされている。
- ^ 参謀本部編[1924b], 126-127.
- ^ 「各種調査会委員会文書・臨時軍事調査委員月報第三十一号」 アジア歴史資料センター Ref.A05021011300; 参謀本部編[1924b], 124.
- ^ 参謀本部編[1924b], 124-125; 仏軍総司令部作戦課編[1919], 44.
- ^ ドイツ軍における歩兵小部隊戦術の発展についてはGudmundsson[1989]を、イギリス軍についてはGriffith[1996]を参照のこと。
- ^ 羽守[不明], 11.
- ^ 参謀本部編[1924b], 124-125.
- ^ 仏軍総司令部作戦課編[1919], 45.
参考文献
[編集]- 見留喜兵衛「改正歩兵操典草案ニ関スル研究」『研究部月報第五十六号』、陸軍歩兵学校将校集会所、1923年、2017年1月12日閲覧。
- 参謀本部編 (1924a).『世界大戦ノ戦術的観察(第二巻)』偕行社、1924年 。2017年1月12日閲覧。
- 参謀本部編 (1924b).『世界大戦ノ戦術的観察(第三巻)』偕行社、1924年 。2017年1月12日閲覧。
- 仏軍総司令部作戦課編 著、参謀本部 訳『千九百十八年歩兵攻撃教令』偕行社、1919年。
- 臨時軍事調査委員編『欧州戦ノ経験ニ基ク戦術ノ趨勢(第一巻)』偕行社、1921年。
- 羽守清一郎『歩兵戦術ノ趨勢』第三師団司令部、発行年不詳。
- France Ministere De La Guerre編 US Army War College訳 (1917). Manual for Commanders of Infantry Platoons. Washington Government Printing Office 2017年1月12日閲覧。
- Gudmundsson, Bruce (1989). Stormtroop Tactics: Innovation in the Germany Army1914-1918. Praeger. ISBN 0275954013
- Griffith, Paddy (1996). Battle Tactics of the Western Front: The British Army's Art of Attack 1916-18. Yale University Press. ISBN 0300066635
- アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
- Ref.A05021011300「各種調査会委員会文書・臨時軍事調査委員月報第三十一号」