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利用者:ニボエーム/下書き4

トーマ・バンガルテル
ダフト・パンクの一人として2006年に演奏するバンガルテル
基本情報
生誕 (1975-01-03) 1975年1月3日(49歳)
出身地 パリ、フランス
ジャンル フレンチ・ハウス
職業
  • 音楽家
  • ベース奏者
  • キーボード奏者
  • 歌手
  • 作詞家
  • 作曲家
  • 映画監督
担当楽器
  • バスギター
  • シンセサイザー
  • キーボード
  • ボーカル
  • ギター
  • ボコーダー
  • 打ち込み
活動期間 1992年~現在
レーベル Roulé
共同作業者

幼少期[編集]

トーマ・バンガルテルはフランスのパリで生まれた[1]。彼はピアノを6歳の頃に弾き始めた[2]。バンガルテルはテレビのインタビューの中で、両親は彼が練習を続けることに対してとても厳格であって、彼は後になってそのことに感謝したと述べた[3]。彼の父親であるダニエル・ヴァンギャルドはギブソン・ブラザーズやオッタワン、シェイラ (歌手)などといった演奏者の著名な作詞家、プロデューサーであった[4]。バンガルテルによれば、「私には、父がしていたことをするという意図は全くなかった。」とのことである[5]。バンガルテルの父親はユダヤ人であったが、それほど宗教的な家庭ではなかった[6]

経歴[編集]

1987年〜2000年[編集]

バンガルテルは1967年にリセ・カルノ在校中にギ=マニュエル・ド・オメン=クリストに出会った [7]。彼らが互いに1960年代、1970年代の映画や音楽、つまり「イージー・ライダーからヴェルヴェット・アンダーグラウンドに至るまで、とても基本的で十代にカルト的な人気がある作品」に夢中だと知ったのはそこでのことである[8]。結果的に、彼らとローラン・ブランコウィッツはダーリンと呼ばれるインディー・ロックのトリオを作ることに参加して[9]、その中でバンガルテルはベースを演奏した。バンガルテルは「当時、何より十代らしいことだった。お分かりのように、誰もがバンドを組みたがるようなものだ。」と感じていた[8]。雑誌メロディー・メーカーからの否定的な批評によれば彼らの音楽は「馬鹿げたパンク・ロックの喧噪(a daft punky thrash)」とのことであった[10]。このことによりバンガルテルとクリストは新しいバンド名を考えようと触発された[11]

18歳になる直前にダフト・パンク電子音楽に興味を抱き、ブランコウィッツは彼の仲間のパリでのバンドであるフェニックス (バンド)に尽力するためにグループを去った[8][11]。1993年に、バンガルテルはバンドデュオ「スラム」のスチュアート・マクミランに対して、彼らの最初のシングルである"The New Wave"につながるダフト・パンクのデモを行った。ダニエル・ヴァンギャルドは二人に価値ある助言を送った。「彼はレコード産業の状況がどんなものであり、どのように動いているかということを我々に示すことで手助けをしてくれた。そのことを知っていれば、自分たちの願望を達成するために特定の選択をすることができる。」[12]

ヴァンギャルドは"Homework"のライナーノーツに尽力したことに対しても感謝された。このアルバムのタイトルは、バンガルテルの寝室で録音されたという事実によるところがある。彼が述べたところによると、「私は装置のためのスペースを空けるために、ベッドを別の部屋に移動させなければならなかった」とのことである[4]。1997年の封切り以降の数年後、バンガルテルは自身のレコードのレーベルである「ルール(Roulé)」(フランス語で「集中的に活動した」の意味)に焦点を当てた。そのレーベルでロマンソニーやロイ・デイヴィス・ジュニアのシングル曲、そしてとりわけバンガルテル自身のソロ曲がリリースされた。バンガルテルのソロ作品はEP盤限定で1995年と1998年にそれぞれ発表された。EP盤の"Outrun"や"Extra Dry"、"Turbo"は後にテレビゲームのMidnight Club IIとして公開された。"On da Rocks"では"D.A.F.T."に含まれる『ダ・ファンク(Da Funk)』の舞台裏の映像が特集されていた。バンガルテルはアラン・ブラックスやベンジャミン・ダイアモンドと合作し、1998年にはクラブヒット曲となった"Music Sounds Better with You"をスターダストという名の下で発表した。"Homework"と同様に、その曲もバンガルテルの家のスタジオで録音された[4][13]

"Music Sounds Better with You"とおおよそ同時期に、バンガルテルはボブ・サンクラーのセカンドシングルである"Gym Tonic"を共同制作していた。そのシングル曲は、ジェーン・フォンダのワークアウトのテープからとった音源を含んでおり、この結果としてフォンダ自身が公的なリリースを許可しなかったので、小さな議論を引き起こした[14]。スペースダスト(Spacedust)という別の活動では『ジム・アンド・トニック(Gym and Tonic)』という題名でイースト・ウエスト・レコードからこの曲の再収録版が公開され、商業的には広く成功を収めた。『ジム・アンド・トニック』は"Music Sounds Better with You"が同じチャートで二位に上がったすぐ後に、イギリスでナンバーワンのシングル曲となった[15]

1998年の間は、バンガルテルとクリストは"Discovery"の最初のセッションとなる部分でロマンソニーと共同制作した[7]。作られた曲の一つである"One More Time"は2000年のダフト・パンクのシングルとしては最も成功したものであった。バンガルテルはまた、フェニックスのデビューアルバム、"United"の中の"Embuscade"をヤマハのCs-60型のシンセサイザーで演奏し、このアルバムは同年にリリースされた[16]。彼はDJ・ファルコンともトゥゲザー(Together)という名で協同し、彼らの名の由来となった2000年のシングル曲を発表した。

2000年〜現在[編集]

バンガルテルは2002年に公開された『アレックス』の楽曲を制作した。アレックスのサウンドトラックでは、映画内で使われたグスタフ・マーラーエティエンヌ・ダオールートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの曲とともにバンガルテルの曲も特集して後にリリースされた。北米ではそのアルバムはバンガルテルの曲のみを特集している。Trax on da RocksのEP盤に入っている曲のうちの三曲は、アルバム"Outrun"、"Ventura"、そして"Extra Dry"として発表された。2002年にバンガルテルはフランスのヒップホップグループ、"113"で"113 Fout La Merde"という曲もリリースした。バンガルテルはそのミュージックビデオの中で、ダフト・パンクのヘルメットを着用して踊っている。

2003年にトゥゲザーがリリースしたのはシングル曲の"So Much Love to Give"である。スティーヴ・ウィンウッドの"Valerie"という曲をもとにしたエリック・プライズの曲、"Call on Me"はトゥゲザーによるリリースであると誤って認識された。DJ・ファルコンによれば、トゥゲザーは以前”Valerie”をサンプリングしたことがあったが、シングル曲としてリリースするつもりは全くなかったとのことである[17]。2005年には、ダフト・パンクは3つ目のスタジオアルバム、Human After Allを発表した。クリストは、「我々が作るアルバムはどれも、自分たちの人生と深い関係がある。(中略)バンガルテルがHuman After Allで経験した内的、個人的なものによりアルバムは、彼が当時いた所に近づいた。」と記述した[18]

バンガルテルは映画ディレクターのギャスパー・ノエとの二回目の仕事に続き、2009年の映画、『エンター・ザ・ボイド』の音響ディレクターを務めた[19]。当初彼は、エンター・ザ・ボイドのサウンドトラックを作ることをノエから持ちかけられていたが、当時彼は『トロン: レガシー』の仕事に没頭していた。バンガルテルはその代わりに、1960年代や1970年代出身の他の芸術家による音楽と共に、ドローンやアンビエンスの一部をその映画に提供した[20]。彼は音響ディレクターとして謝辞の中で紹介されており、その映画では本来Irréversibleのために作曲された彼の曲、"Désaccords"が取り上げられた。

2011年にバンガルテルは、エロディ・ブシェーズを特集してファッションブランドの"Co"の広告となった短い映画の監督を務め、演出も担当した[21]。一年後、バンガルテルはリチャード・フィリップスが監督、リンジー・ローハンが主演の短編映画、"First Point"の音楽を担当した[22]。2013年には、バンガルテルとクリストは4作目のスタジオアルバムである『ランダム・アクセス・メモリーズ』をリリースした。そのアルバムを共同制作した一人、ジョルジオ・モロダーは、ダフト・パンクの二人は完璧主義的な方法を取っていたと想起した。その方法とは、バンガルテルしか違いに気付かないのにもかかわらず自分が歌う作品を複数のマイクで収録するというものであった[23]

私生活[編集]

バンガルテルは、フランスの女優であるエロディ・ブシェーズと結婚している。2004年には、彼はビバリーヒルズに住居を買った。この理由は、ブシェーズの仕事の拠点がハリウッドであるということや、バンガルテル自身が映画製作に興味を持っているということである[24]。ダフト・パンクの製作オフィスはまだロサンゼルスにあるが、彼は現在パリに住んでいる[25]

記録によれば、バンガルテルは2002年に耳鳴りが進行したことを理由にクラブでのDJを辞め、「自分の耳を守りたいので辞めた」と語っている。スラムのオルデ・マイケルは後に、バンガルテルの症状は十分改善したと述べ、「彼は少し恐怖感を持っており、耳を傷つけてしまったのでどれほどそのダメージがひどいのか知るために、適度に思い切った手段をとらねばならないと考えていた。」と語った[26]

目録[編集]

アルバム[編集]

  • Irréversible (2002)

EP盤、シングル[編集]

  • Trax on da Rocks (1995)
  • "Spinal Scratch" (1996)
  • Trax on da Rocks Vol. 2 (1998)
  • "Outrage" (2003)

脚注[編集]

  1. ^ Daft Punk, interview-fleuve pour la sortie de Random Access Memories” [Daft punk, stream interview for the launch of Random access memories] (French). Telerama. Pop Matters (2013年4月7日). 2013年4月7日閲覧。
  2. ^ Hamersly, Michael (10 November 2006), “Ask the DJ”, Miami Herald, http://www.miami.com/mld/miamiherald/entertainment/weekend/15967428.htm 
  3. ^ Daft Punk interview in Japan (1/2), http://www.youtube.com/watch?v=kZeRqcTO_do 2012年11月14日閲覧。 
  4. ^ a b c Gill, Chris (May 2001), “Robopop”, Remix, http://remixmag.com/mag/remix_robopop/ 
  5. ^ Ely, Suzanne (July 2006), “Return of the Cybermen”, Mixmag 
  6. ^ Weiner, Jonah (2013年5月21日). “Daft Punk: All Hail Our Robot Overlords”. Rolling Stone. 2013年5月21日閲覧。
  7. ^ a b Daft Punk Musique Vol. 1 (official Website), オリジナルの10 April 2006時点におけるアーカイブ。, http://web.archive.org/web/20060410194554/http://www.daft-musique.com/ 
  8. ^ a b c Collin, Matthew (August 1997), “Do You Think You Can Hide From Stardom?”, Mixmag (DE: Techno), http://www.techno.de/mixmag/97.08/DaftPunk.a.html 
  9. ^ French music connection (World Wide Web log), My global list, (28 February 2013), http://myglobalist.wordpress.com/2013/02/28/french-music-connection/ 
  10. ^ “Review of Shimmies in Super 8”, Melody Maker, (6 April 2013) 
  11. ^ a b Darlin' (biography), Discogs, http://www.discogs.com/artist/Darlin' 2007年2月20日閲覧。 
  12. ^ Di Perna, Alan (April 2001), “We Are The Robots”, Pulse! 
  13. ^ Music Sounds Better With You - Discogs
  14. ^ James, Martin (2003), French Connections: From Discothèque to Discovery, London, UK: Sanctuary, p. 201, ISBN 1-8607-4449-4 
  15. ^ Spacedust, Discogs, http://www.discogs.com/artist/Spacedust 2007年10月1日閲覧。 
  16. ^ United - Discogs. Retrieved 7 April 2007.
  17. ^ DJ Falcon about Eric Prydz – CALL ON ME”. YouTube (2012年11月4日). 2014年8月8日閲覧。
  18. ^ Daft Punk vs Giorgio Moroder”. Dazed & Confused. Dazed digital (2013年5月13日). 2013年5月13日閲覧。
  19. ^ Enter the void, Festival Cannes, http://www.festival-cannes.com/en/archives/ficheFilm/id/10905415/year/2009.html 2009年5月8日閲覧。 
  20. ^ Barry, Robert (2010年10月13日). “Suddenly The Maelstrom: Gaspar Noé on The Music of Enter The Void”. The Quietus. 2010年10月18日閲覧。
  21. ^ “Daft Punk's Thomas Bangalter Directs Short Film”, Stereo gum, http://stereogum.com/810911/daft-punks-thomas-bangalter-directs-short-film/video/ 
  22. ^ “Lindsay Lohan, Daft Punk: First point”, Hollywood reporter, http://www.hollywoodreporter.com/news/lindsay-lohan-daft-punk-first-point-336381 
  23. ^ Cubarrubia, RJ (2013年4月3日). “Giorgio Moroder: Daft Punk's New Album Is 'A Step Forward' for Dance Music” (YouTube video). Rolling Stone. 2013年4月3日閲覧。
  24. ^ Élodie Bouchez - IMDb(英語)
  25. ^ Tong, Pete (2013年5月10日). “Daft Punk Speak To Pete Tong”. BBC Radio 1. YouTube. 2013年5月10日閲覧。 “We live in Paris, but [...] our creative offices are in L.A. and we kind of commute. (13:47 min)”
  26. ^ Tinnitus Trips Up Another Top DJ inthemix.com.au, Retrieved 14 May 2009.

外部リンク[編集]