利用者:トラ研/sandbox
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歴史 担当者 (三原)
香川県綾歌郡宇多津町に位置する真言宗御室派の寺院である。鎌倉時代後期の永仁年中(1293~99年)に宥弘法印が、観世音菩薩に夢でお告げを受けたことで、青の山の東麓観音山に七間四面の本堂・伽藍を建立した。本尊を「聖如意輪観世音菩薩」とし、院号を「青松山観音院圓通寺」と称しており、讃岐33観音霊場第30番札所にも登録されている。一度、戦国の兵火によって焼亡したが、延宝3年(1675年)に中興良意法印によって現在地に再興された。昔の本堂跡は、「観音堂」の地名として今でも残り、飛び地境内となっている。また、南北朝時代には、足利幕府の官僚職をつとめ、細川頼之公が阿波の秋月とともに四国の分国支配の拠点となった讃岐の守護所・居館跡だと伝承されている。