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利用者:トミー・ライト・クラウド


トミー・ライト・クラウド(Tommy Light Cloud)は、日本の熊本県在住のフリーランスの作曲家、編曲家、オーケストレーターである。

誕生

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1979年11月21日熊本県山鹿市にて生まれる。
本名「富田 陽介(とみた ようすけ)」
家族からのあだ名は、「ようかい」である。
余りにもトミーが変わり者という事で、母(富田真由美)が名付けた。

幼少期~少年期

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幼少期より、ViolinPianoを習っていたが、大の練習嫌いだった為、あまり上達はしなかった。
大のおじいちゃんっ子で、冨田儀郎(父方の祖父)から特別扱いされていた。
山鹿市立山鹿小学校在学時5~6年生の頃には、天童と言われる程成績がよく、小学6年生の時、当時大の難関校と呼ばれていた「熊本マリスト学園中学校・高等学校」を受験し、合格し、寮に入る。
当時100人以上の男子が同じ部屋で寝泊まりするというまるで刑務所の様な寮生活に馴染めず、神経質であった事から、強いホームシックに陥り、 毎日寮のトイレで隠れて泣いていたという。
一方成績は軒並み良く、常に学年5位以内に入り、1位を記録した事も数回ある。
生まれつき容姿にも優れていた為、中学2年の頃から、当時の「熊本マリスト学園中学校・高等学校」の校長であり、カトリック神父でもあったY氏より性的虐待を受け始めた。
同時期に、当時の担任であった英語教師のK氏が、エルヴィス・プレスリーの大ファンであった為、授業中に「Can't Help Falling in Love」を教材として取り上げた事で、 トミー自身もエルヴィス・プレスリーの大ファンとなり、生まれて初めてCDを買ったのが、エルヴィス・プレスリーのBest版だった。
中学3年に移る頃、自身が校長から性的虐待を受けている事を告発し、寮を出て、下宿に移る。
その頃には、学校という存在に対する反抗心から、既に不良生徒と化しており、一時期1位にまで上り詰めた成績は、最下位レベルまで低下した。
登校拒否も繰り返し、登校しても、2時限目で勝手に帰ったりと、勝手放題していたが、上記の件から、学校側はトミーに何も言えなかった。
また、熊本マリスト学園中学校・高等学校在学時は、吹奏楽部に所属しており、フルートを担当していた。
そこで、楽譜の読み書きを覚えた。
自身がフルートを担当していた事もあり、トミー自身フルートの音色を愛しており、自身の作曲した楽曲にはフルートをフューチャーした物が多い。

東京時代

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成績が急低下し、生活が荒れてきた事で、父が激怒し、実質勘当状態で、16歳の時に熊本から上京する。
東京での生活は、12年間にも及んだが、その間アルバイト等は一切せず、全ておじいちゃんからの仕送りで生活を送った。
東京でも殆どアパートから外に出る事はなく、ひたすら音楽を勉強していた。
秋葉原、渋谷、新宿、池袋、原宿、吉城寺が大嫌いであったと述べており、一方、中野、高円寺、稲城市、府中市、八王子市には遊びに行く事もあった。
おじいちゃんはかなりの高齢であったが、トミーを心配し、頻繁に一人で熊本から東京まで通った。
おじいちゃんと東京を観光した時の想い出は、今でもトミーの心に刻まれているという。
エルヴィス・プレスリーの影響で、初めは歌手志望だったが、20代中頃から精神不調により、声が出ない「失声症」に陥り、歌手志望から作曲家志望に転換した。

帰省~自殺未遂~就職~退職

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東京で芽が出る事はなく、28歳の時に熊本に戻ったが、その年のクリスマスの日に大量に睡眠薬を服用し、自殺を図る。
一命は取り留めたが、その後も計3回服毒による自殺未遂を行った。
その後、父が脳血管障害で倒れた事がきっかけで、父が経営する(有)富田農園に入社するも、全くやる気がなく、仕事中に作曲を始めたり、 コンピュータグラフィックスを作ったりと、滅茶苦茶な勤務態度で、接客もまともに行わず、客からの苦情が相次ぎ、 (有)富田農園の後取り息子であるトミーの弟(次男)との関係が悪化し、 2013年に弟との乱闘騒ぎを起こし、退社。
将来を悲観した父が、何度も会社に戻る事をトミーに説得するも、トミーが断固拒否した事から、一時期は関係が修復していた父とも再び亀裂が生まれる。

精神障害等級2級

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トミーは、長年統合失調症を患っており、全く収入がなくなった事から、2014年に障害年金を受け取る手続きを行い、実質障碍者となる。(精神障害等級2級)
その際、トミーが国民年金を滞納しており、障害年金を得る事は不可能な筈であったが、滞納分を支払い、熊本マリスト学園中学校・高等学校の当時の先生方の手記等が市役所に送られ、成人前障害が認められた形となった。

アルバム制作~おじいちゃんの死去

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2015年1stアルバム「Finale for the Unrequited Love」を自主制作。
2015年10月9日に最愛のおじいちゃんが死去し、追悼の意を込めて、「Requiem for Dear Grandfateher」を作曲。(2ndアルバムに収録)
2016年2ndアルバム「Rail of Destiny」を自主制作。
同じく2016年のクリスマスにミニアルバム「Sleigh of Reindeers」を自主制作。
最新作は2017年に自主制作したミニアルバム「Concerto for the Unreachable Dreams」である。

自身の音楽に対する影響とスタンス

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トミーは、自身の音楽について、一番拘るのは、美しくて分かりやすいメロディーラインと、劇的な展開、そして「曲名」であると答えている。
影響を受けたアーティストとして、エルヴィス・プレスリー久石譲ウリ・ジョン・ロートジェスロ・タルJim Peterikペット・ショップ・ボーイズなどを挙げている。
鍵盤が殆ど弾けない事から、作曲時はシーケンサーを愛用しており、ヤマハ・QYシリーズを2012年程まで愛用していた。
最も愛用していたのは、QY700で、これはトミーの母親がお金を苦心してトミーに買ってあげたものである。
2013年頃から、PCを主体としたDAWにようやく移行し、現在はSONAR PLATINUMを愛用しいる。
自身の作曲に対するスタンスとして、1年に100曲作るよりは、1年に1曲の名曲を作る事を目指しており、大量に曲を書き溜めるタイプではない。

人生観

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苦手なものとして、「お酒」「タバコ」「女」「SEX」「人間活動」「仕事」と公言しており、容姿端麗にも関わらず、35歳まで童貞だった。
結婚の意味が分からないと周囲に漏らしており、一生独身を貫くと断言している。
トミーは、携帯電話スマホを一切所有しておらず、知人に「スマホ文化が理解できない。」旨の発言をしたところ、「貴方は仙人になった方がいい。」と返されたという逸話がある。
高橋留美子の大ファンであり、高橋留美子の作品の中で、一番好きなのは「らんま1/2」である。
芸人はあまり好きではないが、東京03だけは特別好きらしく、トミーは彼等を天才と呼んでいる。
口癖は、「神が創造した快楽によって命が生まれるという間違ったシステムがこの悲劇的な世界を作り出している。」という何とも強烈なものである。

ディスコグラフィー

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  • 2015「Finale for the Unrequited Love」10曲入りフルアルバム
  • 2015「Stay Positive」シングル
  • 2016「Rail of Destiny」10曲入りフルアルバム
  • 2016「From Here to Eternity」5曲入りミニアルバム
  • 2016「Sleigh of Reindeers」3曲入りミニアルバム
  • 2017「21 Essential Tommy Light Cloud Music」未発表曲を含む21曲入りのベストアルバム
  • 2017「Saparate Skies」シングル
  • 2017「Concerto for the Unreachable Dreams」3曲入りミニアルバム

You Tube チャンネル

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Tommy Light Cloud Official YouTube Channel