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利用者:テレストレラッソ/sandbox


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  • 1967年(昭和42年)12月31日までに著作者が亡くなっている作品 → すでに保護期間満了
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駅跡地

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駅の跡地には1964年(昭和38年)10月に秦野電信電話局が建設された。当時、秦野地域の電話回線が逼迫しており、処理しきれていない新規契約の申し込みが多数あったことから、自動ダイヤル設備の導入が急務であり、同局の設置に至った。

電電局の建設地決定の報道で、その場所が入船遊園地であると記述があることから、それ以前は公園であったと推測される。

建設開始は1963年(昭和37年)9月の神奈川新聞で報じられている。[1]

入船遊園地:児童遊園地ではないかと推測される。駅廃止の1937年(昭和12年)から1963年(昭和37年)の間。

神奈川新聞湘南相模版昭和37年2月11日p8(https://dl.ndl.go.jp/pid/2935803/1/134):電話局敷地2年ぶり解決、入船遊園地に新局舎、秦野、周辺の買収交渉も順調

神奈川新聞湘南相模版昭和37年10月6日p8(https://dl.ndl.go.jp/pid/2935804/1/175):自動化で即時通話、秦野電電局新庁舎39年春までに完成

昭和38年10月に庁舎が完成(https://dl.ndl.go.jp/pid/9522722/1/107)、昭和39年5月に秦野電電局内の電話が自動ダイヤルになる

住所:秦野市曽屋3025番地(https://dl.ndl.go.jp/pid/8798390/1/605)、昭和39年5月31日、自動式に改式

住所表示の変更で1967年(昭和41年)に末広町1-1になる。

脚注

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注釈

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出典

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  1. ^ 神奈川県関係新聞記事索引 第4集 (昭和37年7月~38年12月)』神奈川県立図書館、1965年、332頁https://dl.ndl.go.jp/pid/2935804/1/175