利用者:クルクルクルー/sandbox
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岡村政子 | |
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生誕 |
山室 1858年[[]] 信濃国(長野県)岩村田 |
死没 | 1917年12月1日(31歳没) |
国籍 | 日本 |
教育 | フォンタネージ |
著名な実績 | 版画家 |
代表作 | 《婦人像》 |
岡村 政子(おかむらまさこ、1916年(安政5年)[[]] - 1936年(昭和11年)12月30日)[1]は、明治・大正時代の版画家。
経歴
[編集]明治7年に上京。ニコライ神学校に入学後、そこで石版印刷技術を学ぶ。画才が認められ、明治9年工部大学美術学校に第1期生として入学。イタリア人教官フォンタネージから絵画や石版印刷術を学ぶ。同期には小山正太郎、浅井忠がおり、同郷人の岡村竹四郎とも知り合った。 明治11年師の解職をきっかけに自身も同校を退学し、竹四郎と結婚。 明治13年には夫と共に石版印刷会社の信陽堂(のちの東洋印刷)を開業。洋風美人画石版刷りは大好評。 明治24年には明治天皇・皇后の肖像を制作・献納し、その頒布を許可与えられた第1号。 大正12年には関東大震災の火災で家も印刷会社も全焼し、作品のほとんどが焼失。 昭和11年の12月に78歳で亡くなる。2年後に竹四郎も78歳で亡くなる。
生い立ち
[編集]・岩村田藩士山室直高の四女として生まれる。 ・父は江戸詰の家老、母は膳所藩士出身の身分の高い家柄。 ・維新の改革で没落。 ・15歳で上京。 ・神田の女子神学校に入学。師はニコライ。 ・ニコライの勧めで、工部美術学校に入学。 ・教官のフォンタネージから絵と石版印刷術を学ぶ。 ・フォンタネージ解任とともに退学。 ・岡村竹四郎と結婚。
- ^ 『書名』出版者。