利用者:カレーライヌ/sandbox
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沖縄県女子師範学校は1910年の沖縄県師範学校女子部をもととし、1915年に師範学校に併設する形で沖縄県女子師範学校として創設される。 翌年の1916年には真和志村大道の沖縄県立第一高等女学校の校地に移転し、沖縄県立第一高等女学校と併設され、実質的には、校長や一部の教師は両校を兼任していた(西岡一義師範学校女子部長は一高校長)。正門にも両校の名称が記され、そのため、校名は異なるものの、実質的には一つの学校に近いものであり、1940年代には女師および一高女の学舎が「ひめゆり学舎」と呼ばれるなど、両校の通称として「姫百合」の名が定着していたようである。
「ひめゆり」の名称の由来については、次のようなものがある。
校舎併設の際に両校の学校広報誌『乙姫』(沖縄県立第一高等女学校)と『白百合』(沖縄師範学校女子部)を併せて『姫百合』としたことが由来とする説[1]。
両校が校歌を同じくしており、歌詞に「乙姫」「白百合」が登場することが由来とする説[2]。
安里川にかかる粗末な橋から転落死した一高女生徒を悼み、昭和初期に安全な橋に掛け替えられた橋に「姫百合橋」と名付けたことが起源とする説。
なお、平仮名で「ひめゆり」と表記するようになったのは戦後のことである。「ひめゆり学徒隊」という通称についても戦後のもので、沖縄戦当時は「一高女生」「師範生」と呼ばれていた[3]。
- ^ ひめゆり平和祈念資料館『生き残ったひめゆり学徒たち : 収容所から帰郷へ』ひめゆり平和祈念資料館、2012年6月23日、10頁。ISBN 978-4-9908017-1-7。
- ^ ほし さぶろう『劇画ひめゆりたちの沖縄戦』閣文社、1994年9月10日。
- ^ 小林 照幸『21世紀のひめゆり』毎日新聞社、2002年11月20日、7頁。ISBN 4-620-31580-X。