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利用者:アモーレ

アモーレ』(amore)は、“言葉では表現不可能なもの”を他者と共振している状態であり、また共振するための場である。

例えば、宇宙という無限定な空間と歴史の中で起きる奇跡としての“であい”がアモーレを生んでいる。アモーレは常にあるが、両者がアモーレを意識した“かかわり”によって、初めて感性が交歓される。この感性の交歓が原動力となり、アモーレが淡々とひろがっていく。このようにアモーレは、一般的に“であい”、“かかわり”、“ひろがり”の3要素から構成されると考えられている。この3要素がアモーレという“つながり”をもたらす。

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アモーレのシンボルマーク


基本理念

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アモーレの意義

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例えば、「人」というものを目の前にしたとする。これを「ひと」と読む人が多いだろう。確かにこれは「ひと」という文字である。しかし、これを「ひと」と捉える場合、「人」は「ひと」、すなわち、動物であって、知能があって、社会をつくって・・・。ということに限定されてしまう。つまり、「人」を「ひと」というのは、「人」を説明する1側面に過ぎないということである。このような視点を分析的視点ということにする。現代人は、分析的視点に囚われることが多く、「人」を「ひと」と捉えるような構造に慣れ切っている。一方、「人」というものを限定しない見方は、芸術的視点だと考えられる。「人」をそのまま、何の判断も加えずに「人」と捉え、芸術的に“感じた”とすれば、その感じたことが、真実であると捉えられる。実際にいる人を見たとき、「この人は障害を持っている」「この人は子どもだ」などと判断する分析的視点では、その人の本質を見ていない。物事の本質は語れない、言葉では表すことができないと考えられる。言葉で表現した時点でそれは判断であるし、分析である。そのものの100%を説明することはできない。ものを説明したところでそれは、本質ではない。ものがあって、それを“感じる”ことが本質であろう。

この意味でアモーレは、本質でつながろうとする人のはたらきである。本質のかかわりが、今の日本社会、とりわけ都市部での人間関係には必要だと考える。


アモーレを創る大前提としての共通認識[1]

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  1. 情報社会、消費社会という、日本においてのアモーレの重要性。我々は、インターネット上ではなく、生の人間とつながることを価値とする。アモーレ自体が、目的であり、手段である。初対面において、いかに相手の感性を受け取れるかといったセンス、今までつながりがなかった人に対して、その相手の想いを汲むということは、殊更現在の超消費社会の中で、大切にしていかなくてはならないという認識。
  2. アモーレでは常に、競争ではなく協同の力動関係が成されるということ。上下関係も利害関係もなく、ただありのままの姿を受け入れる。アモーレは、その時その場で織り成されるライブであり、アートである。そして、それを創り上げるのは、そこにいる全てのメンバーであるという認識。
  3. アモーレは各々の中に確かにあるという期待。我々がその潜在アモーレを喚起し、共にアモーレを創っていこうとする姿勢も持ち続けること。アモーレは常に100%であり、その場その場での、感性の交歓がアモーレであるという認識。
  4. アモーレは、以下の1. であい、2. かかわり、3. ひろがりから構成されるという理解。
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アモーレ第1の要素『であい』
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アモーレ第2の要素『かかわり』
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アモーレ第3の要素『ひろがり』
    1. であい
      • ネットワークの力を信じ、人が出逢うことによって可能性が増大するという期待。この出逢いを歓迎し、拡げていこうという思い。出逢いの喜びを拡げようとする我々自身が、出逢いから生まれる喜びを最大限に感じているかどうか。膨大な確率の中で、目の前の人と出逢うことができた感謝を持ち続けていけるかどうか。
    2. かかわり
      • 人と人との本音のつながりは、インターネットを介してのものではなく、人が直接出逢ってこそ成されるという意識。その本音のつながりとは、それだけで喜びを与えてくれるという事実。アモーレでのつながりは、恋愛、ビジネス、趣味の共有などといった目的が必ずしもない。人が出逢うこと、そこで感性の交歓をすること、それだけを純粋に喜べているかどうか。
    3. ひろがり
      • アモーレによって、できるだけ多くの人々に対し、感性のやりとりからくる幸福を伝えていこうという意志。宗教活動、鼠講にならぬよう、行動の強要から回避し、感性の交歓が、この超消費社会に淡々と拡がることのみを喜びとできるか。aアモーレがどこかでアモーレを生むといったように、各地でアモーレが飛び火する日を夢見ているか。アモーレが自分の知らない場で行われることに胸を躍らせているかどうか。


ただし、以上のような共通認識がなければアモーレがつくれないということではない。アモーレは元来何にも限定されないものである。


活動内容

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代表的なアモーレは、メンバーの紹介によってひろがる方法を取っている。かかわりの内容としては、飲み会が多い。


略歴

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  • 2008年 アモーレ発足
  • 2008年11月11日 第1回飲みアモーレ
  • 2009年1月16日 第2回飲みアモーレ
  • 2009年2月21日 第3回飲みアモーレ
  • 2009年3月28日 第4回飲みアモーレ
  • 2009年4月25日 第5回飲みアモーレ
  • 2009年5月30日 第6回飲みアモーレ
  • 2009年6月12日 第1回A飲みアモーレ
  • 2009年6月27日 第7回飲みアモーレ
  • 2009年7月25日 第8回飲みアモーレ
  • 2009年8月8日 第1回千葉アモーレ
  • 2009年8月29日 第9回飲みアモーレ
  • 2009年9月11日 第2回A飲みアモーレ
  • 2009年9月26日 第10回飲みアモーレ
  • 2009年10月24日 第11回飲みアモーレ(予定)


脚注

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  1. ^ 「アモーレをつくる大前提としての認識」(2009.3)


関連項目

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