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利用者:アイザール/work2

ロイヤル・クレッセント
熱気球から撮影したロイヤル・クレッセント。公的な正面側装飾と、プライベートな建物裏側との対比が確認できる
所在地イギリスバース (イングランド)
座標北緯51度23分13秒 西経2度22分06秒 / 北緯51.38694度 西経2.36833度 / 51.38694; -2.36833座標: 北緯51度23分13秒 西経2度22分06秒 / 北緯51.38694度 西経2.36833度 / 51.38694; -2.36833
建設1774
建築家ジョン・ウッド (子)英語版
建築様式ジョージアン建築
指定建築物 – 等級 I
登録日12 June 1950[1]
登録コード443488

ロイヤル・クレッセント(the Royal Crescent)は、イギリスバースにある、30件の住宅からなる円弧状の建築物、およびその住宅に沿った道路と一帯。ジョン・ウッドによりデザインされ、1767年から1774年にかけて建設された。イギリスにおけるジョージアン建築の非常に優れた作品例であり、第一級歴史的建築物に指定されている[1]。過去200年にわたり、様々な著名人がここで生活を送った。内装は変化しているものの、正面は建築当時の姿を残している。

ロイヤル・クレッセントは現在、その一部がホテルや博物館となり、その他の箇所は住居やオフィスとして利用されている。また、映画やテレビ番組のロケ地としても使用されてきた。

デザインおよび建築

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当初、この建物は単に「クレッセント」と呼ばれていた。「ロイヤル」の語は18世紀末にヨーク・オールバニ公フレデリックがNo.1および16に居住したことからつけられるようになった[2]

ジョン・ウッドは大きくカーブしたファサードを有し、ルスティカ状の床を設けた地階にイオニア式石柱を備えた3階建て住居30件をデザインした。直径30インチ (76 cm)になる柱が47フィート (14.3 m)におよび建ち並び、全部で114本となる。それぞれの柱には5フィート (1.5 m)の厚みを持つエンタブラチュアが施されている。クレッセント中央となる住宅は、正面の左右それぞれに二本組の石柱を備えている[1]

当時、物件の購入者はそれぞれ特定の長さのファザードの権利を買い、その背後に自身が希望する家を建設するためにまたそれぞれ建築家を雇用するのが一般的だった。2軒に見える家はもとは1軒であるということもときおりあった。そのため、せっかくの都市計画はロイヤル・クレッセントの背面で裏切られることになった。表面は完全に様式が統一され、シンメトリカルであるのに引き換え、背面では様々な高さの屋根や様々な窓割りが混在することとなった。この「表はクイーン・アン、裏はメリー・アン(Queen Anne fronts and Mary-Anne backs)」的なる建築は、バースにおいては繰り返し現れた[3]

ロイヤル・クレッセントの前に設けられた隠れ垣

In front of the Royal Crescent is a Ha-ha, a trench on which the inner side of which is vertical and faced with stone, with the outer face sloped and turfed, making the trench, in effect, a sunken fence or retaining wall. The ha-ha is designed not to interrupt the view from Royal Victoria Park, and to be invisible until seen from close by. It is not known whether it was contemporary with the building of the Royal Crescent, however it is known that when it was first built it was deeper than it is at present.[4]

The railings between the crescent and the lawn are included in the Buildings at Risk Register produced by English Heritage.[5]

フリーメイソンとの関係

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父のジョン・ウッド (父)英語版と同じく、子のジョン・ウッド (子)英語版オカルト的なるものや、フリーメイソンの象徴主義に深い関心を抱いていた。おそらく彼らの作品の中で最も大きいものがロイヤル・クレッセントとその近くにあるザ・サーカスであるが、この二つは空から見ると巨大な円と三日月形、つまり「太陽と月(the soleil-lune)」のシンボルの形となっている。ゲイ・ストリートとクイーンズ・スクウェアに挟まれたザ・サーカスもまた、メーソンのシンボルの一つである「鍵」の形をしている[6]


著名な住人

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The Royal Crescent

18世紀

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No.1の最初の住人は、設計者ジョン・ウッドの義理の兄弟であり、チェスターの町役場書記を務めたトマス・ブロックだった。1785年に彼が死んだ後、No.1はランバル公妃マリー・ルイーズマリー・アントワネットの女官)が借りることになった。数年後の1796年、ここにはヨーク・オールバニ公フレデリックが住むことになった[2]

当時よく知られた作家であったクリストファー・アンスティen:Christopher Anstey)は1770年から1805年にかけてNo.4の住人であった(ただし、ブループラークはNo.5に掛けられている)[2]

バール子爵ジョン・バプティストは1778年にNo.8に入居し、度々パーティや賭場を開いた。子爵は街南東のクラヴァートン・ダウンの丘における決闘により死去し、バース近郊のバースハンプトンの聖ニコラス教会に埋葬された[2]

1768年から1774年にかけては元傭兵で著述家のフィリップ・シックネス大尉(en:Philip Thicknesse)がNo.9に住んだ[2]

N0.11には1771年以降、歌唱教師・指揮者のトマス・リンリー(en:Thomas Linley the elder)の家族が暮らした。リンリーの次女で歌手であったエリザベス・リンリー(en:Elizabeth Ann Linley)も同居していたが、後に、詩人・劇作家のリチャード・ブリンズリー・シェリダンと駆け落ちした[2]

後にホテルとなったクレッセントの中央部だが、18世紀後半当時は住居とされると同時に、エリザベス・モンタギューen:Elizabeth Montagu)が主宰する女性サロンであるブルー・ストッキングen:Blue Stockings Society (England))の会合場所にも用いられた。[2]

19世紀

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19世紀にはバースおよびザ・クレッセントの一般的な知名度はいったん低下したが、ローマン・バスでの「温泉浴」の人気が広まるにつれ、再び知名度を取り戻した。当時のザ・クレッセントの著名な住人には、1814年から1822年にかけてNo.16に住んだ、選挙の改革者として知られるフランシス・バーデットとその娘であるアンジェラ・バーデット=クーツがいる[2]

また、海軍提督だったウィリアム・ハーグッドen:William Hargood)が退役後、1834年から1839年にかけてNo.9に居住した。そして1866年、同じ部屋にエドワード・ブルワー=リットンが居住した[2]

1882年には法律家で探検家のトーマス・フォルコナーen:Thomas Falconer)がその死の直前にNo.18に居住した。その数年後、隣のNo.17に、もっとも普及した速記方式である「ピットマン式」の発明者アイザック・ピットマンが居住している[2]

20世紀

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著名な紳士が引退後、ザ・クレッセントに居住するという伝統は、1916年に英語学教授のジョージ・セインズベリー英語版がNo.1Aの部屋に居住して以来、20世紀にまで続いた。

第二次世界大戦の期間には爆撃により被害を受けたが、その中で最も深刻なものが、焼夷弾によりNo.2とNo.17の室内が破壊されたことである[7]

During the century many of the houses which had been the residence of a single family with maids or other staff were divided into flats and occasionally offices. In the 1970s one resident Miss Wellesley-Colley painted her front door at number 22 yellow instead of the traditional white. The city council issued a notice insisting it should be repainted. A court case ensued which resulted in the Secretary of State for the Environment declaring that the door could remain yellow. Other proposals for change and development including floodlighting and a swimming pool have been defeated.[2]

現在

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ロイヤル・クレッセントの右端部分

ロイヤル・クレッセントの建築物は、その大部分はそれぞれ民間の個人所有だが、一部は住宅組合(en:Housing association)により所有されている。

No.1の家は博物館となっており、en:Bath Preservation Trustにより運営されている。博物館では、各時代の裕福な住人達がどんな家具を部屋で使用していたか展示されている[8]。No.1は1967年にMajor Bernard Cayzerが購入し、修復および家具購入ための資金と共にトラストへ寄贈した[2]

1950年代にはNo.16はゲストハウスとして利用された。1971年、NO.16はNo.15と一続きにされ、ロイヤル・クレッセントの中央部分を占める「ロイヤル・クレッセント・ホテル」になった。ホテルは1978年、ロンドン・スローン・クラブのチェアマンであったJohn Thamが購入し、修復された[2]。後にen:Von Essen Hotelsに買収されたが、さらに、en:London and Regional Propertiesが購入する予定である[9]

近くのロイヤル・ヴィクトリア・パークen:Royal Victoria Park, Bath)は、熱気球の発着地としても使用されている。熱気球の発着は毎年夏、主に早朝か夕方近くに行われる。

長年にわたり、夏の間、住民は数分ごとに訪れる観光バスの騒音に耐えねばならなかったが、現在、建物前の道路はバス類進入禁止となっている。

ロイヤル・クレッセントのパノラマ写真

Film and television

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ファイル:Royal Crescent Panorama.jpg
The Crescent at night

In 1965 the black comedy The Wrong Box (1966) used the Royal Crescent extensively as a location. The 1965 film Catch Us If You Can also had a sequence filmed outside the crescent and in one of its houses. It was thought by some that Oliver! (1968) used the Crescent for the 'Who Will Buy' sequence — this was, however, filmed on a massive set at Shepperton Studios.[10]

In 2003, Time Team (S10EP7) dug the Royal Crescent in search of a Roman cemetery and the Fosse Way. The remains of a Roman wall were found behind the crescent and evidence of possible Iron and Bronze Age settlement on the lawn in front.[11]

In 2007 TV edition of Persuasion, there were considerable scenes at the Royal Crescent, where the Elliot family supposedly were living while they were in Bath.

The Royal Crescent was also featured in the 2008 film, The Duchess.[12]

BBC1の考古学スリラードラマ「ボーンキッカーズ 考古学調査班」のヒロインは、クレッセントに住んでいる設定となっている。

A panoramic view of the Royal Crescent

関連項目

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References

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  1. ^ a b c Royal Crescent”. Images of England. 2006年11月14日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m Lowndes, William (1981). The Royal Crescent in Bath. Redcliffe Press. ISBN 978-0905459349 
  3. ^ Moon, Michael; Cathy N. Davidson (1995). Subjects and Citizens: Nation, Race, and Gender from Oroonoko to Anita Hill. Duke University Press. ISBN 0822315394 
  4. ^ Hardisty, Jenny (2003年). “The History of the Ha-ha”. Royal Crescent Society. 2009年11月1日閲覧。
  5. ^ South West England”. Heritage at Risk. English Heritage. p. 26. 30 June 2010閲覧。
  6. ^ Thomas, Ceri. “The Royal Crescent in Bath”. Pictures of England. 2009年6月9日閲覧。
  7. ^ Baly, Monica. “The Day Bombs fell on Bath”. Royal Crescent Society. 2009年11月1日閲覧。
  8. ^ No 1 Royal Crescent”. Images of England. 2006年11月14日閲覧。
  9. ^ Offers made on two-thirds of von Essen hotels, This is Bath, 5 September 2011. Retrieved 6 September 2011.
  10. ^ Oliver! film locations”. Worldwide guide to movie locations. 2009年9月13日閲覧。
  11. ^ Maxwell, Roy (2003年). “Beneath the Surface: Channel Four's Time Team comes to Bath”. Royal Crescent Society. 2009年11月1日閲覧。
  12. ^ "Bath sets the scene for Duchess's social whirl", This Is Bath, 2009-10-03. Retrieved on 2009-10-03.
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