利用者:わをりん/sandbox
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明治政府 | |||
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Meiji government | |||
明治時代後の日本国旗。 | |||
概要 | |||
創設年 | 慶長3年(1867年) | ||
解散年 | 明治18年(1885年) | ||
対象国 | 日本 (大日本帝国) | ||
地域 | 平安京→(東京奠都) →東京府 | ||
政庁所在地 |
東京府 (現:東京都) | ||
代表 |
総裁 (1868) (職務代行者 副総裁) 太政大臣 (太政官監督大臣) (1868-1885) 内務卿 (1873-1885) (事実上の首相格) | ||
機関 | |||
政体 | 参議による合議制 | ||
役職 |
総裁 議定 参与 副総裁 (王政復古の大号令1868年導入) | ||
若年寄支配 |
太政大臣 右大臣 左大臣 大目付 町奉行 勘定奉行 城代 奉行(遠国奉行) 大番(御侍衆)等 | ||
備考 | |||
1868年の王政復古の大号令により幕府が廃されたため、江戸幕府は日本最後の武家政権となった。 | |||
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江戸幕府(えどばくふ)は、江戸時代における日本の武家政権。1603年(慶長8年)に徳川家康が征夷大将軍に補任され、江戸を本拠として創立した。その終末は、諸説あるが大政奉還が行われた1867年(慶応3年)までの約264年間とされる。
徳川家が将軍職を世襲したことから徳川幕府(とくがわばくふ)ともいう。安土桃山時代とともに後期封建社会にあたる。
江戸時代初期に行われた大御所政治(駿府政権)に関してもここで述べる。
概要
[編集]徳川家の当主が従一位右大臣に叙任され、征夷大将軍に補されて260余りの武家大名と主従関係を結び、彼らを統制するという制度は、1600年代後半までに確立された。その将軍の政府を「幕府」、臣従している大名家を「藩」、さらに両者が複合した権力の体制を「幕藩体制」と一般に呼んでいる。ただし、「幕府」及び「藩」の語は幕末期に広く使用され、現在も歴史用語として定着しているものの、江戸時代を通じて使用されていたわけではない。それまでは、将軍の政府は「公儀」・「公辺」などと漠然と呼ばれていた[1]。
幕府の始期及び終期については諸説あるが、征夷大将軍の任官時期に着目する場合には、家康がはじめて将軍職に任じられた1603年3月24日(慶長8年2月12日)から、いわゆる王政復古の大号令によって15代将軍徳川慶喜の将軍職辞任が勅許され、併せて幕府の廃止が宣言された1868年1月3日(慶応3年12月9日)までとなる。終期には他にも1867年11月9日(慶応3年10月14日)に慶喜が大政奉還を行った時、1868年5月3日(慶応4年/明治元年4月11日)の江戸開城とする説もある。
徳川将軍家が実質的に日本を支配した、この260年あまりの期間を一般に「江戸時代」と呼ぶ。江戸幕府は日本の歴史上、鎌倉幕府及び室町幕府に続く武家政権である[2]。
- ^ 明治維新史学会 2011, pp. 3–5.
- ^ “幕府(ばくふ)/ 時代劇用語指南(2008年5月29日)”. 山本博文 (解説) / 情報・知識&オピニオン imidas - イミダス. 2021年11月15日閲覧。