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錦田(英語:Kam Tin、中国語(簡体):锦田、(繁体):錦田) は香港の地名。香港の新界、元郎区の東に位置する。
長い歴史があり、昔の名は岑田といったが明王朝の万暦時代に錦田と改名された。
東は石崗と八鄉と隣接、西は凹頭と隣接。大帽山などを含む多くの盆地に位置する。
香港が開港する前から香港の先住民の多くが錦田に住んでいた。当時の村人たちによって作られた囲まれた村が存在する。住民の多くは唐族である。
歴史
[編集]錦田の鄧家
[編集]錦田は宋王朝に鄧氏によって設立された。錦田の鄧族は元は西安省の吉安府吉水県白妙村に住んでいた。北宋の熙寧二年に四番目の族長である鄧符協は進士として認められ広東の陽春の県令を授与された。
宦官がこの地に旅行に行った時、2つの峰が燃え上がっていたことから幸福の場所とされ「陳天」と古くから名付けられていたが、三方の山が平地を取り囲んでいることを意味した「岑里田」に改名され、それが略されて岑田という名になっていた。
明朝の萬暦一五年に新安県の西部で深刻な干ばつがおこり、知県の邱體が災害援護を始めたが各町でわずか数石しか米を育てることができず、大半が二・三〇石ほどの収穫しかなかった。そこで、当時岑田の水尾村に住んでいた鄧元は新安に千石を寄贈した。邱體は岑田について「なぜこのような田園地帯が美しい町が岑田という名なのだ」と思い、錦田に改名した。
鄧符協には陽と布という息子がいて、鄧陽には珪という息子、鄧布には端という息子ができ、鄧珪には元英と元禧という二人の息子ができ、鄧端には元禎、元亮、元和という息子ができた。この元英、元禧、元禎、元亮、元和は「五大房(房=家)」を築いた。
元英と元禧と元和は東莞に移り、分かれて三つの家を建て、元禎は屏山に定住、錦田には元亮のみが残った。その後、龍躍頭、大埔頭、萊洞、廈村に分岐した。
元亮の四人の息子のうち長男の林と杞は母親の宋皇姑と共に石井に移り、林の三番目の息子は龍躍頭に戻った。元亮の三番目の息子、槐は大埔頭と萊洞に移住し、末っ子の梓は錦田にとどまった。
梓の五世代後の九番目、鄧洪生、洪惠、洪儀、洪贄の四つの家があった。その中で洪贄とその従兄弟の洪生、洪惠は廈村に移り、洪儀の家だけが錦田に残った。
洪儀には息子の欽、鎮、銳、鋗がいて、「錦田鄧氏四房(錦田の鄧氏の四つの家)」となった。彼らはこれらの家を組み合わせて先祖代々のホールを建てた。
現在錦田にあるホールは四つ。欽の長男による「清樂鄧公祠」(思成堂)、三男による「廣瑜鄧公祠」(來成堂)、鎮、銳、鋗の合同による「鎮銳鋗鄧公祠」(茂荊堂)。この鎮銳鋗鄧公祠は、鋗の早死により欽の次男である廣海が相続人となった。
廣海の五代後の子孫の一人である一七代目、文蔚(別名惟松)が「龍游尹泉庵鄧公祠」(光裕堂)を建てた。
鄧氏はさらに錦田に「北園」「南園」「泰康園」「吉慶園」「永隆園」の「五園」を建てた。
遷海と復界
[編集]満州人が中原に移った時代、漢族と明王朝の生存者との対立が激しくなっていて、満州人の多くはそれに苦しんだ。
明王朝側である鄧成功は反清活動の基地とするため、オランダ人の介入により台湾を占領した。広東の沿岸地域では清政府に反対したものは「海寇(海賊)」となり、清の兵制を弱くした。
清の兵制は弱すぎてこの活動に対処することができず、南東海岸で「遷海」「遷界」を行い、国を一掃する政策を行った。この政策は22年間続いた。「遷海」とは海岸沿いの土地を区切り、住民に内陸に移住することを強制することで船を出航できなくし、鄧家への海沿いからの支援を断ち切るものだった。
順治一三年六月、山東省、江蘇省、浙江省、福建省でまず「海禁令」が施行され、順治一八年八月まで「遷海令」が出されていて特に広東省には多大な損害となった。
錦田は全体が「遷海」の政策の対象地域となっており、住民は移動などを強制された。この政策下で亡くなる人も多く、東莞に逃げる人や遠くへ旅へ出る人も数多くいた。
広東巡撫である王來任と兩廣總督と周有德は「遷海」による人々への被害を精力的に訴え、康熙八年一月に清政府は「復界」を命じた。しかし、「遷海」が全面解禁されたのは康熙二二年で、それまで新安の沿岸部分などでは「遷海」が続いていた。
錦田の人々は康熙八年に正式に村へ戻り、住民は康熙二三年まで周と王の二人に感謝し、その功徳を称えるために周王二公書院を建てた。翌年に建設が完了したこの建物に、移住によって死亡した人々を弔うための祭壇を10年ごとに設置することが決まった。
錦田での抗英運動
[編集]香港の戦い
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