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利用者:みっしゅん/sandbox


嘉陽(かよう)は、沖縄県名護市久志地区に属し太平洋に面している集落である。

歴史

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 嘉陽貝塚 

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時代は沖縄諸島の呼称で沖縄貝塚時代からグスク時代(平安後期から鎌倉時代)と考えられている。 嘉陽貝塚は、嘉陽川の河口に形成された砂丘上に位置しており、集落内では沖縄貝塚時代後期の土器、グスク時代の土器・類須恵器・中国製の青磁・染付・南蛮陶器などが採集される。この場所には南側に開いた平野の入口にあたり、正面南側は太平洋を望み、背後にはこの砂丘の後背湿地だったと考えられ、現在では水田として利用されている。


 嘉陽原遺跡 

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時代はグスク時代中期から近世と考えられている。 嘉陽原遺跡上城のある丘陵の西側平地に立地しており、グスク時代中期から近世にかけての遺跡である。斜面下を通る道路が二又に分かれる下側に当たり、現在サトウキビ畑になっている。そのそばに水田のへの水路が通っている。畑は嘉陽層の礫が混ざる土である。グスク土器沖縄製陶器が採集される。

 嘉陽 

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 聖火 

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嘉陽は、1964年(昭和39年)10月東京で開催されたオリンピックの聖火の宿泊地である。 同年8月にギリシャオリンピア採火式が開催され、各国をリレー形式で縦断したのち、9月に沖縄に繋がれた。 8日には久志の嘉陽で聖火が宿泊した。本土と分断されていた時代、聖火リレーは人々の注目を集めた。その後嘉陽は聖火が宿泊したことを記念して、嘉陽小学校(現在は美ら海自然学校)の正門横に聖火宿泊碑聖火のあとさきの詩碑を建立した。

 記念物 

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嘉陽層の褶曲 天仁屋川河口からバン崎にかけての海岸には、今から約4000万年前の新生代古三紀始新世という時期に付加された嘉陽層と呼ばれる地層が分布している。 嘉陽層は、当時の海溝付近の深海に堆積したタービダイトが、プレートの沈み込みに伴い次々と陸側に付け加わった付加体の地層を主体とする。嘉陽層の中には、地層の様々な堆積構造、海底地滑りによる地層、沈み込むプレートの圧力により形成された逆断層などの地層の褶曲現象が典型的に発達する。また、砂岩層の堆積作用を示す様々な構造、堆積した深海底の環境を示す生痕化石、さらにプレートの沈み込みにより付加した堆積物から形成された日本列島の成り立ちを示す様々な現象が保存されており、極めて重要であるため平成24年9月19日に、国指定天然記念物に指定された。

嘉陽アスイマーのガジマル   写真 嘉陽上城   写真 嘉陽の舞台幕 ウミガメの産卵地


『名護市の文化財』

参考文献

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  • 岸本建男『5000年の記憶』(2000年)名護市役所
  • 比嘉鉄也『名護市史・本編11 わがまち・わがむら』(1988年)名護市役所
  • 名護市史編さん委員会『名護市史本編・わがまち・わがむら』(1988年)名護市役所
  • 編集委員『5000年の記憶』(2000年)

外部リンク

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