利用者:のりまき/プライドと出自 白綾地秋草模様小袖
執筆の経緯
[編集]白綾地秋草模様小袖(冬木小袖)は、2023年8月23日に東京国立博物館で開催されたウィキマニア2023東京に際し立項した記事です。葵梶葉文染分辻が花染小袖、白練緯地松皮菱竹模様小袖を立項した後、やはり小袖の中でも著名な、尾形光琳自筆の秋草模様が描かれた白綾地秋草模様小袖に挑戦したいと考え、ウィキマニア2023東京のイベント時に作成してみることにしました。
光琳と小袖のデザイン
[編集]記事を書き始めてまず躓いたのが葵梶葉文染分辻が花染小袖、白練緯地松皮菱竹模様小袖との違いでした。前二者は衣服としての視点からの資料がほとんどであるのに対し、白綾地秋草模様小袖は衣服というよりも尾形光琳の絵画作品としての位置づけ、評価がされている資料が多かったのです。名が知られた小袖の記事を書こうと意気込んでいた自分は、出鼻を挫かれた気がしました。また作品に落款等がないため、作風から尾形光琳作とされていることも正直戸惑いました。参考文献を読む限り尾形光琳の真作であることは疑われていないのですが、なんとなくもやもやが残った感じがしました。
とにかく絵画記事を書くやり方で執筆しなければならなくなったので、光琳の制作歴の中での位置づけをしていく必要が出てきました。そこでまず光琳の画業についてある程度調べていくことにしました。遊蕩が好きな反面、光琳は雪舟や雪村の模写に熱心に取り組むなど絵画に対しては真剣であり、そのような中で秋草の優れた描写が特徴的な白綾地秋草模様小袖が生まれてきたことが見えてきました。
調べ始めて考えさせられたのが、光琳は京都でトップモードの衣服を扱う呉服商出身だったことです。しかしパトロンであった東福門院の没後、家業は傾いていき、光琳自身の遊蕩もあって財産を使い果たし、結局、得意であった絵画で身を立てていくことになります。ちなみに光琳の兄の藤三郎は才覚に乏しい人物だったのに対し、光琳と弟の尾形乾山は高い芸術的天分に恵まれていました。乾山は兄の光琳よりも堅実な人物だった印象ですが兄弟仲は良好で、光琳は乾山の陶芸作品のデザインを引き受けたりしています。しかし光琳は小袖のデザインは意図的に避けていたと考えられます。これは私の推測なのですが、トップモードを扱う呉服商から転落した経歴から光琳は衣服には複雑な思いを抱いていて、小袖のデザインに手を染めることはプライドが許さなかったのではないでしょうか。しかし呉服商の生まれという出自は、光琳に優れたデザイン感覚をもたらしたと考えられています。有力パトロンのために描いた白綾地秋草模様小袖は優れた絵画作品である上に、実際に着用した際の見栄えも十分に考慮された傑作です。また、光琳のデザインは「光琳模様」と言われるようになって、絵画や工芸作品のモチーフととて盛んに用いられるようになります。小袖のデザインそのものは嫌いながらも、やはり呉服商の生まれという出自は光琳に大きな財産をもたらしたのだと思います。
初音ミクとあつまれ どうぶつの森
[編集]記事を書く中で最後の関門となったのが初音ミクとあつまれ どうぶつの森でした。白綾地秋草模様小袖の修理修理プロジェクトの一環として、初音ミクと冬木小袖(白綾地秋草模様小袖)のコラボ「<冬木小袖>ミク」が制作されたのですが、初音ミクのことは名前しか知らなかった私は正直、面食らいました。個人的な感想となりますが、初音ミクの16歳の設定に合わせ、振袖姿の「<冬木小袖>ミク」が東京国立博物館の大階段に降り立つデザインは秀逸だと思います。またあつまれ どうぶつの森内のマイデザインとして「ふゆきなこそで」が公開された話も、やはりあつまれ どうぶつの森の名前しか知らなかったので困ってしまい、結局、ウィキマニア2023東京当日に詳しい参加者の方に教えてもらって記事の完成に漕ぎつけることが出来ました。
参考文献について
[編集]参考文献ですが、なんといっても 小山弓弦葉『日本の美術No.524 光琳模様』が非常に参考になりました。この文献が無ければ記事の完成度が大きく落ちたに違いありません。小山氏の研究の中には辻が花の優れた論文等があり、また機会がありましたら小山氏の論文を使用して記事を書いてみたいと思っています。