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概要
[編集]牛込見附跡は田安台から牛込方面にでるための門だった牛込門の跡地になる。門と城門を監視する見附の役割を持っていた。明治時代に牛込門は破壊され両側の石垣だけが残った。 跡地に置いてある角石には「入阿波守内」と彫られている。これは蜂須賀阿波守忠英がこの門を築いたことから刻銘された。 残っている見附の中でも一番良く江戸城の遺構が残っている。 国指定史跡に登録されている。
沿革
[編集]・1636年(寛永13年)- 外濠が開かれる ・1638年(寛永15年)- 阿波徳島藩主蜂須賀忠英により牛込見附門が建てられる ・1902年(明治35年)- 見附門が撤廃される ・1956年(昭和31年)- 国の史跡名勝天然記念物に指定される
国指定史跡ー江戸城外堀跡
[編集]天正18年(1590)、当時戦国大名の一人に過ぎなかった徳川家康は新たに小田北条氏の所領を与えられ、江戸城を居城に定めました。彼は、その後慶長8年(1603)征夷大将軍となって江戸幕府を開くと、その直後から江戸城の大規模な築城工事に着手しました。そして、将軍の居所にふさわしいように江戸市街を拡張して大城郭・江戸城を築くという一連の普請が行なわれていきます。そしてそのいわば総決算として、寛永13年(1636)に江戸城外郭の構築工事が開始されました。この工事によって、江戸城の外堀と外郭の諸門が完成されたのです。
参考文献 鈴木啓『図説江戸城の石垣』歴史春秋出版、 二〇一三年 鈴木謙一謙『江戸城三十六見附を歩くー大江戸散策読本ー』わらび書房、二〇〇三年 野中和夫『石垣が語る江戸城(ものが語る歴史シリーズ12)』同成社、二〇〇七年 岡部善丸『東京都史跡ガイド①千代田区史跡散歩』学生社、一九九二年 『江戸学辞典』弘文堂、一九八四年 東京都千代田区教育委員会『千代田の文化財深訪』東京都千代田区教育委員会、一九九五年
日本城郭協会『江戸城三十六見附絵図集成』新人物往来社、一九八五年 千代田区地域振興部地域振興総務課『史跡と観光』千代田区地域振興部地域振興総務課、 二〇一五年 東京市麹町区役所『麹町区史』東京市麹町区役所、一九三五年
<オンライン資料> ・東京市『東京市史蹟名勝天然記念物写真帖.第〔1〕輯』東京市公園課 1922(p.12)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1875142/12
スポット(牛込見附跡)|【公式】東京都千代田区の観光情報公式サイト / Visit Chiyoda (visit-chiyoda.tokyo)