コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

利用者:たいすけ55/sandbox

いしかわ せつこ

石川 節子
石川啄木没後の節子(大正元年)
生誕 堀合 セツ
1886年10月14日
岩手県南岩手郡上田村新小路11番地
(のちの盛岡市上田、岩手大学構内)
死没 (1913-05-05) 1913年5月5日(26歳没)
北海道函館区豊川町34番地(豊川病院)
死因 肺結核
墓地 北海道函館市立待岬
国籍 日本の旗 日本
出身校 盛岡市盛岡女学校
職業 代用教員
団体 滝沢村立篠木尋常高等小学校
函館区立宝尋常高等小学校
配偶者 石川啄木
子供 石川京子
親戚 石川正雄(義理の息子、長女の夫)
テンプレートを表示

石川 節子(いしかわ せつこ、1886年明治19年〉10月14日 - 1913年大正2年〉5月5日)は、石川啄木の妻。

その前半生は平穏に過ぎ、啄木との長い恋愛ののちに結婚する[1]。1905年(明治38年)5月末の結婚式に啄木が欠席した時に、節子は「吾はあく迄愛の永遠性なると言ふ事を信じ度く候」という決意を表明した[2]。夫には生活力がなく、絶え間ない流転と別離の日々が続くなか[3]、愚痴一つこぼさず、女手一つで幼い娘の京子を抱え、確執のある姑のかつ子を養いながら、窮乏した生活を耐え忍んだ[4]。1909年(明治42年)10月の彼女の家出事件は啄木に深刻な打撃を与え、その文学と思想にも大きな影響をもたらした[5]。啄木との結婚生活は1912年(明治45年)4月まで、満7年にも満たず、同居した期間は5年もなかった[6]。啄木は病魔のため大成を見ずに亡くなり、節子もまた同じ病で若くしてこの世を去った[1]

[[]]

生涯

[編集]

幼少期

[編集]
家出期間中の節子と堀合の家族(明治42年10月)。前列右より、堀合了輔、工藤その、石川京子、祖母キン、堀合ろく子、母の堀合とき子、堀合克巳、石井京。後列右より、堀合赳夫、父の堀合忠操、堀合孝子、堀合忠直、堀合ふき子、節子、高橋ノシ、宮社フシ

[編集]

大正2年4月13日、浅草の等光寺において、与謝野寛、北原白秋、金田一京助、土岐哀果らを発起人として、61名が出席して啄木の一周忌の追悼会が行われた。この会で去る3月23日に、函館の啄木未亡人節子の代理として函館図書館岡田健蔵が上京して、等光寺に埋葬してあった啄木とカツの遺骨を、函館に持ち帰ったことを報告した[7]。一方、函館図書館でも同じ日に啄木の一周忌の追悼会が催されている。宮崎郁雨、岡田健蔵が幹事となり、堀合忠操、斎藤大硯、岩崎白鯨ら20名あまりが出席している[8]。この来会者の席上で、啄木と面識のない斎藤咀華が写真を参考にし、宮崎ら友人たちの意見も取り入れて、描いた肖像画の油絵が披露されている[9]。追悼会の数日後、「苜蓿社」時代の啄木の友人・岩崎白鯨は、この絵を一目節子に見せようと、岡田健蔵と連れだって病院を訪ねた[9][10]。岡田は絵を前にして、当日の様子について詳しく話し、これを機会に啄木会として「啄木文庫」を創設し、啄木の関係資料の収集や保存をしていくことを約束している。節子は啄木が残した日記、書簡および遺稿など一切を「啄木文庫」に託すことを言い残したと伝えられる[11]。病室の節子は痩せ衰え、正視できないほどだったが、せきをしながら鬼気迫る表情で啄木の絵を見つめて、離そうとしなかった。二人はその場にいたたまれず、絵をそのままにして、病室を出ていくしかなかった。岩崎はその時の様子を、次のように書き記している[12]

その時は見て貰ったら直ぐ持って帰る積りで行ったのだが節子さんが咳入り〱乍ら一心に眺めてゐるものを、とても持って帰る訳に行かなかったそれで、こっそり岡田君に耳打して、飽きたら返して貰う事にして画を置いて二人ハ帰ったそれは僕にしてハ永の別れであった。(中略)外へ出てから岡田君に、画を持って帰るに忍びなかったと云ったら、同君も同感だと云ってうつむいた。岡田君もあれを最後に、節子さんに逢はなかったことと思ふ。 — 岩崎白鯨

節子は啄木の肖像画とともに、残りの二週間ほどの命を生きた[9]

血縁の人物のその後

[編集]

伝記作品

[編集]

脚注

[編集]

注釈

[編集]

出典

[編集]
  1. ^ a b 堀合(1974) p.216
  2. ^ 岩城(1985) pp.219
  3. ^ 石川(1936) p.236
  4. ^ 石川(1936) p.237
  5. ^ 岩城(1985) pp.234-235
  6. ^ 澤地(1981) p.229
  7. ^ 冷水(1968) pp.82-85
  8. ^ 冷水(1968) p.88
  9. ^ a b c 山下(2010) p.157
  10. ^ 堀合(1974) p.214
  11. ^ 坂本(1998) p.464
  12. ^ 磐幸正「啄木遺稿と歌集」(上)『函館毎日新聞』1913年6月21日付朝刊、1面


参考文献

[編集]
雑誌
書籍
  • 山下多恵子『啄木と郁雨 友の恋歌矢ぐるまの花』未知谷、2010年。ISBN 978-4896423112 
  • 坂本竜三『岡田健蔵伝 北日本が生んだ稀有の図書館人』講談社出版サービスセンター、1998年。ISBN 978-4876014422 
  • 冷水茂太『啄木遺骨の行方』永田書房、1968年。ASIN B000JA4BMY 
  •  

[1]

  1. ^ [[#()|]] p.