利用者:こやまひろ/sandbox
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情報 表に『世界歴史大系 ドイツ史1―先史~1648年―』を追加しました。
Wikipedia記事名 | 池谷文夫『神聖ローマ帝国』2019年、刀水書房 | 木村靖二『ドイツ史』2001年、山川出版社 | 菊池良生『神聖ローマ帝国』2003年、講談社現代新書 | ゲオルク・シュタットミュラー、丹後杏一訳『ハプスブルク帝国史』1989年、刀水書房 | 成瀬治・山田欣吾・木村靖二『世界歴史大系 ドイツ史1―先史~1648年―』1997年、山川出版社 |
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コンラート1世 (ドイツ王) | 「コンラート1世」★:戴冠果たせず | 「コンラート1世 ドイツ王」 | 「コンラート1世が東フランク王に選出された」 | ||
ハインリヒ1世 (ドイツ王) | 「ハインリヒ1世」★:戴冠果たせず | 「ハインリヒ1世 ドイツ王」 | 「ドイツ王初代ハインリッヒ1世狩猟王」 | 「ハインリヒ1世 国王」 | |
コンラート (イタリア王) | 「コンラート3世」★:戴冠果たせず | 「コンラート ドイツ王」 | 「コンラート 国王 イタリア王」 | ||
コンラート3世 (神聖ローマ皇帝) | 「コンラート3世」★:戴冠果たせず | 「コンラート3世 ドイツ王」 | 「ドイツ王コンラート3世」 | 「コンラート3世 対立国王 ドイツ国王」 | |
フィリップ (神聖ローマ皇帝) | 「フィリップ・フォン・シュヴァーベン」★:戴冠果たせず | 「フィリップ フォン・シュヴァーベン ドイツ王」 | 「ドイツ王フィリップ」 | 「フィリップ・フォン・シュヴァーベン シュヴァーベン大公 対立国王」 | |
ハインリヒ7世 (ドイツ王) | 「ハインリヒ7世」★:戴冠果たせず | 「ハインリヒ7世 ドイツ王」 | 「ドイツ王ハインリッヒ」 | 「ハインリヒ(7世) 国王」 | |
コンラート4世 (神聖ローマ皇帝) | 「コンラート4世」★:戴冠果たせず | 「コンラート4世 ドイツ王」 | 「ドイツ王コンラート4世」 | 「コンラート4世 国王 シチリア国王」 | |
ウィレム2世 (ホラント伯) | 「ヴィルヘルム」★:戴冠果たせず | 「対立国王ホラント伯ヴィルヘルム」 | 「ホラント伯ウィレム」「ドイツ王」 | ||
リチャード (コーンウォール伯) | 「リチャード・オヴ・プランタジネット」★:戴冠果たせず | 「コーンウォール伯リチャードを国王に選出した。」 | 「コーンウォール伯リチャード」「ドイツ王」 | ||
アルフォンソ10世 (カスティーリャ王) | 「アルフォンソ10世賢王」※1 | 「アルフォンソ10世を選出する」 | 「ドイツ王」 | ||
ルドルフ1世 (神聖ローマ皇帝) | 「ルードルフ1世」★:戴冠果たせず | 「ルードルフ4世(1世) ドイツ王」 | 「ドイツ王ルドルフ」 | 「ドイツ王ルドルフ1世」※3 | 「ルードルフ1世 ハプスブルク伯 国王」 |
アドルフ (神聖ローマ皇帝) | 「アドルフ」★:戴冠果たせず | 「ナッサウ家のアドルフが国王になる。」 | 「つぎのドイツ王には・・・ナッサウのアドルフが選ばれた。」 | 「選帝侯は・・・アドルフ・フォン・ナッサウを国王に選んだ。」「選挙諸侯・・・は1298年6月にマインツで王を廃位した。」 | |
アルブレヒト1世 (神聖ローマ皇帝) | 「アルブレヒト1」★:戴冠果たせず | 「アルブレヒト1世 ドイツ王」 | 「アルプレヒト1世国王になる。」 | 「アルブレヒト1世」※3 | 「アルブレヒト1世 オーストリア大公 国王」 |
フリードリヒ3世 (ドイツ王) | 「フリードリヒ美王」※2 | 「フリードリヒ2世『美王』 ドイツ(対立)国王」 | 「フリードリッヒ美王が国王に立候補。」「美王は敗れ・・・お飾りの共同統治者に甘んじた。」 | 「フリードリヒ美公」※3 | 「フリードリヒ2世美王 オーストリア大公 国王」 |
ヴェンツェル (神聖ローマ皇帝) | 「ヴェンツェル」★:戴冠果たせず | 「王位を継いだのは子のヴェンツェル」 | 「ヴェンツェルが皇帝即位。」 | 「ヴェンツェルが1378~1400年の間統治した。」 | 「ヴェンツェル ベーメン王 国王」 |
ループレヒト (神聖ローマ皇帝) | 「ループレヒト」★:戴冠果たせず | 「ルプレヒト・フォン・プファルツが皇帝即位。」 | 「ファルツのループレヒトがドイツ王にあげられた」 | ||
アルブレヒト2世 (神聖ローマ皇帝) | 「アルブレヒト2世」★:戴冠果たせず | 「アルブレヒト5世(2世) ドイツ王」 | 「アルプレヒト2世皇帝即位。」「次の皇帝は・・・ハプスブルク家のアルプレヒト2世が選ばれた。・・・久々にハプスブルク家が皇帝位を得た。しかし同家期待のアルプレヒトはアーヘンでのドイツ王の戴冠式も済まさぬうちに・・・急死する。」 | 「アルブレヒト5世」※3 | 「アルブレヒト2世 オーストリア大公(5世) ベーメン及びハンガリー王 国王」 |
※1 「親仏派の諸侯と連携を図るが、ドイツに来ず」
※2 「1325.9.5 ミュンヘンでの『両家王の契約』で『共治王』となる(~1330年)が、帝国統治に関与できず、オーストリアへ引退した」
※3 巻末の「ハプスルブルク家略系図」では「ドイツ王」に数えているが「神聖ローマ皇帝」には数えていない。
参考
・・・オットー1世の戴冠した皇帝権は、いうまでもなく、カール大帝の800年の戴冠に始まり、フランク時代をつうじてカロリング家のフランク諸王によってになわれてきた。それは理念的には、古代末期のローマ皇帝がキリスト教世界全体の唯一最高の支配者であったと同じ意味で、普遍的世界の唯一最高の支配者たるべきものであったから、どの皇帝も、たとえば「至高なる皇帝オットー」といった絶対称号をもちいるのみで、みずからのタイトルにいっさいの地域的限定語などはつけくわえなかった。したがって、そうした皇帝の支配が実際にどこまでおよぶのかは、まさにおりおりの状況いかんが決めたのであって、画定された領土などが存在したわけではない。また、この皇帝権が、オットー大帝以来連続して東フランク=ドイツ国王のになうところとなったのも、当時の西方世界にザクセン朝以外の有力な政治権力がなかったという特殊な歴史状況によって規定された偶然の結果にすぎなかった。—山田欣吾、成瀬治・山田欣吾・木村靖二『世界歴史大系 ドイツ史1―先史~1648年―』山川出版社、1997年、135頁
神聖ローマ皇帝は、実質的にはドイツ王にすぎない。だが歴代のドイツ王は、それゆえにこそ、理念的には西洋世界の普遍的支配者であるローマ皇帝となるために、ローマにおいて教皇の手による戴冠を必要とした。それがなければドイツ王はただのドイツ王でしかない。ここに、ドイツ王そして神聖ローマ皇帝がつねにイタリアに目を向けねばならない理由があった。・・・—山内進、木村靖二『ドイツ史』山川出版社、2001年、37頁
史料上裏付けのとれない親子関係は点線で示す。太字は当主。
不明 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
不明(早世) | 直種[1] | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
直政[2] | 敏政[3] | 清政[4] | 政種[5] | 亮政 (直政養子) | 井演[6] | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
蔵屋 | 亮政[7] (直種次男) | 之政[8] | 碧潤[9] | 秀信[10] | 福寿庵 (惟安首座) | 貞政[11] | 忠種[12] | 井伴[13] | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
田屋明政[14] | 鶴千代 (海津殿) | 政弘[15] | 松市 (三田村定頼室) | 久政[16] | 虎夜叉[17] | 寿慶 (浅井忠種室) | 定政[18] | 清忠 | 亮親[19] | 盛政[20] | 井規[21] | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
海津局 | 政高[22] | 饗庭局 | 養福院 (京極高吉室) | 長政[23] | 一政[24] | 対馬局 | 良政[25] | 出羽局 | 吉政[26] | 成伯[27] | 女子 | 賢政[28] (吉政子) | 英方 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(三好)直政[29] | 万福丸 | 茶々 (豊臣秀吉室) | 初 (京極高次室) | 崇源院 (徳川秀忠御台所) | 政右[30] | (菊池)武康[31] | 女子 (里見興元室) | 女子 (千賀志摩室) | 賢政 (盛政養子) | 光慶[32] | 利政[33] | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
寛政重修諸家譜・藤原氏 公季流 浅井
三条氏政[34] | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
浅井重政[35] | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
忠政[36] | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
堅政[37] | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
勝政(亮政)[38] | 利政(綱政)[39] | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
祐政(久政)[40] | 高政[41] | 女子 (海津長門守政元室) | 饗庭局[42] | 山城守 | 秀政[43] | 智山[44] | 女子 (浅井掃部之政室) | 近江局[45] | 女子 (磯野丹波守秀昌室)[46] | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
長政[47] | 女子 (京極高吉室) | 女子 | 女子 (戸塚出雲守頼忠室) | 政澄(政貞)[48] | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
万福丸 | 淀 (豊臣秀頼母) | 女子 (京極高次室) | 女子 (徳川秀忠御台所) | 万寿丸[49] | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
- ^ 蔵人。
- ^ 井三郎。
- ^ 掃部助、長門守。
- ^ 越後守。
- ^ 備後守、法名義順。
- ^ 越中守。
- ^ 新三郎、備前守。
- ^ 掃部助。
- ^ 新十郎、蔵人入道。
- ^ 五郎兵衛尉。
- ^ 越後守。
- ^ 又次郎。
- ^ 弥太郎、木工助。
- ^ 新三郎。
- ^ 新四郎。
- ^ 猿夜叉、新九郎、左兵衛尉、下野守。
- ^ 山城守。
- ^ 采女。
- ^ 与次、石見守。
- ^ 越後守。
- ^ 七郎。
- ^ 茂左衛門。
- ^ 猿夜叉、新九郎、賢政、備前守。
- ^ 源右衛門。
- ^ 作左衛門。
- ^ 吉兵衛尉。
- ^ 養源院開山。
- ^ 政堅、兵部、紀伊介。
- ^ 左馬助。
- ^ 源右衛門。
- ^ 弥八郎。
- ^ 法印、成伯法嗣。
- ^ 左兵衛尉。
- ^ 大納言。
- ^ 新左衛門、亀若丸、新次郎
- ^ 新左衛門、新三郎。
- ^ 新次郎。
- ^ 新三郎。室は赤尾駿河守教政の娘。
- ^ 肥前守、新六郎、五郎左衛門。
- ^ 新九郎、下野守。
- ^ 新三郎、新八郎。
- ^ 崇源院侍女。
- ^ 長頼、宮内少輔。
- ^ 僧。
- ^ 崇源院侍女。
- ^ のち黒田伊予守室。
- ^ 新九郎、備前守、贈中納言。室は織田備後守信秀の娘。
- ^ 新八郎、信濃守。
- ^ 長秀、正芸。福田寺住職。
テンプレート
[編集]これは注釈です[注釈 1]。
脚注を入れ子にできます[注釈 3]。
Efnの中でSfnなどの短縮出典が使えます[注釈 4]。
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ 脚注
- ^ Smith 2009, p. 2.
注釈
[編集]参考文献
[編集]- Smith (2009), Smith's book