利用者:げえさん/sandbox-理想的風景画
理想的風景画(en: ideal landscape)とは、17世紀前半に発展した風景画の一種である。理想的風景画において自然はあるがままの姿でなく、あるべき姿で描かれる。そのように理想化された風景が、聖書や古典的な歴史から選ばれた主題を描くうえでの舞台設計として用いられた[2]。歴史画や神話画などと比較して、風景画は絵画のジャンルの中でも低位な位置にあった。しかし、そうした主題画は単に人物を書き込むだけでなく、人物と作品を覆う雰囲気の調和によって成り立つ。そのため理想的風景画とは、作品の宗教的、歴史的、そして詩的なテーマを説明するものとみなし、風景画が高位に位置しなければならないという理念のもと成立した[3]。
理想的風景画を描いた著名な画家として、アンニーバレ・カラッチ、二コラ・プッサン、クロード・ロランが挙げられる。特にカラッチは理想的風景画を成立させた画家と見なされている。理想的風景画という呼称は、K・ゲルステンベルクの著書『理想的風景画』に由来している[4]。
展開
[編集]理想的風景画の成立はヴェネツィアの巨匠ティッツァーノまでさかのぼる。ティッツァーノの風景画は前景に前景に人物を配置し、後景に広大な自然の景色を配するという構図で描かれた。つまり、画面前面にて人間の劇的な、あるいは悲劇的な出来事が描出され、それとは対をなすかたちで、後景に不変的な自然を描いたのである。理想的風景画の代表的画家として挙げられるカラッチとプッサンはヴェネツィアの巨匠ティッツァーノの手法を熱心に学んだ[5]。
アンニーバレ・カラッチの『エジプトへの逃避のある風景』
[編集]アンニーバレ・カラッチの『エジプトへの逃避のある風景』は理想的風景画の先駆的作品とみなされている。本作品において中央に建つ城は水平線と垂直線でもって厳格に構成されており、目に留まりやすい場所に配置されている。左前景は木々が占め、右前景は川と羊によって対角線ができ、空間が生まれている[6]。
この風景画にはそれぞれ異なった時間と人間の営みの層がある。前景には旅の危機に瀕する聖家族が描かれ、中景は堅固な建物と牧夫や旅人たちによる日常的な活動が表現されている。画面後方へと遠のくにつれて、背景は前景と中景のような対比的な表現はなくなり、静謐である[7]。
ケネスクラークは『風景画論』の中でカラッチの風景画について、
内容と形式において、風景画は宗教的・歴史的・詩的な主題を表出するより高位の種類の絵画を希求せねばならない。それは『エジプトへの逃避』や『エウリュディケ―の物語』において演じる人物群を単に描くだけではなされず、場面全体の雰囲気や性格を描くことで可能になる。
と述べている。描かれる風景は、ありのままの自然の姿ではなく、均整をとるべく画家の手が加わって完成する[8]。これは、単に聖書の出来事を描写しているだけでなく、風景それ自体が出来事のより深い理解に貢献していることを示唆している[9]。
ニコラ・プッサンの『フォキオンの葬送』
[編集]描く主題に合わせて風景を想像する理想的風景画の手法はアンニーバレ・カラッチによって確立され、二コラ・プッサンへと引き継がれる。ロジェ・ド・ピエールは『絵画原理講義』において、二コラ・プッサンを模範的な英雄的風景画家として挙げる[10]。
風景画家が絵を描く際に用いる様式のなかで、私はただ二種類だけを区別しよう。他の者はそれらの混合にすぎない。すなわち英雄的な様式と、牧歌的あるいは田園的様式である。 英雄的様式は、芸術や自然が生み出しうるあらゆる偉大なものや非凡なものから抽出したものによる構成である。(中略)プッサンはこの様式において十全に表現したように、この様式は美しい才能、よき精神から発したときには、一つの快い幻想であり、一種の魔法である。
プッサンが1648年に描いた『フォキオンの葬送』という作品は英雄的風景画の代表的作品として知られている。この作品は、カラッチの『エジプトへの逃避のある風景』と同じく、前景・中景・後景の三層構成である。前景では、プルタルコスの「フォキオン伝」終盤のエピソードであるアテネ市内に埋葬することが禁じられたフォキオンの遺体がメガラの郊外へと移送されてゆく場面が描かれる。中景には、正面に構える損傷のない建築物と平和で日常的な活動風景描かれている。前景で展開される悲劇的な場面は、中景における静穏な場面風景によって緩和されている。画面中景におけるアテネ市内の街並みや建築物はプッサンの綿密な調査に基づいて、豊かな想像力によって創り上げられたものであり、英雄的な場面にふさわしい風景となっている。
- ^ "Seaport with the Embarkation of the Queen of Sheba". National Gallery. Archived from the original on 10 November 2015. Retrieved 4 December 2021.
- ^ Ian Chilvers, The concise Oxford dictionary of art & artists, (Oxford University Press, 2001), p.123.
- ^ Kenneth Clark, Landscape painting, (Scribner, 1950), p.54.
- ^ 小針由紀隆『クロード・ロラン:十七世紀ローマと理想的風景画』、論創社、2018年、207頁。
- ^ Margaretha Rossholm Lagerlöf, Ideal landscape : Annibale Carracci, Nicolas Poussin, and Claude Lorrain, (Yale University Press,1990), p.37.
- ^ Rudolf Wittkower, Art and architecture in Italy, 1600 to 1750, (Baltimore, 1965), p.40.
- ^ Margaretha Rossholm Lagerlöf, Ideal landscape : Annibale Carracci, Nicolas Poussin, and Claude Lorrain, (Yale University Press,1990), p.51.
- ^ Rudolf Wittkower, Art and architecture in Italy, 1600 to 1750, (Baltimore, 1965), p.40.
- ^ 小針由紀隆『クロード・ロラン:十七世紀ローマと理想風景画』、論争社、2018年、48頁。
- ^ ニコラ・プッサンが風景画を手掛けた時期は1648年~51年と1658年~65年に大別される。アンソニー・ブラントはプッサンが制作した風景画のうち、前期の作品を英雄的風景画、そして後期の作品を理想的風景画であるとしている。 これに対して、ウォルター・フリーレンダーは、英雄的風景画と呼称されるプッサンの風景画は、画家の想像力によって自然を超越しているという点から理想的風景画に属するとの見解を示す。 Anthony Blunt,'The Heroic and the Ideal Landscape in the Work of Nicolas Poussin' in Journal of the Warburg and Courtauld Institutes, Journal of the Warburg and Courtauld Institutes, Vol. 7, (The University of Chicago Press, 1944), pp.154-168, p.154. Walter Friedlaender, Nicolas Poussin : a new approach, (H.N. Abrams, 1966), p.78.