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利用者:ぐみっこ/sandbox

汲沢(ぐみざわ、欧文: Gumizawa)は横浜市戸塚区の町名。一丁目~八丁目および汲沢町からなる。戸塚区の南西部に位置し、町域南東部で国道1号線、北部で県道22号線(長後街道)に接する。人口24145名、世帯数10772(2016年)。郵便番号は247-0061および0062。

汲沢地区および富士山

沿革

地名はグミの木に由来し、古くは茱萸澤と表記された。鎌倉幕府の御家人である畠山六郎重保の陣屋があったと伝えられており、北部の六丁目には六郎丸との字名も残る。室町時代の永禄年間に表記が汲沢と改められるとともに、鎌倉郡に編入された[1]。明治時代半ばに近隣の村と合併されたのち、1939年に横浜市に編入された。昭和初期、別荘地として分譲されたのをきっかけに開発が始まり[2]、戦後の人口急増期を経て、1999年の横浜市営地下鉄踊場駅開業に伴い利便性が増したことから大型マンション等も建設され、現在に至る。

地理

北部は、踊場駅から戸塚高校、汲沢小学校を経るかたちで南西方向へ標高約60m程度の丘陵が続く。この丘陵の北西側は緩やかな下り斜面となっている一方、南東側は谷戸をはさんで東汲沢小学校から南へ続く丘陵に対峙する。西部は、南北に流れる宇田川をはさんで。深谷町に隣接する丘陵および深谷通信所跡地へ続く。南部は、東側で丘陵上を走る旧東海道、すなわち国道1号線に接し、谷戸をはさんだ西側にはまさかりが淵市民の森の丘陵が位置する。汲沢地区は全体に標高が高く西方へ大きく開けた丘陵地であり、かつて富士見村の一部を構成していたことからも理解される通り、富士山の眺望が得られる箇所が多い。中村三叉路バス停付近が旧汲沢村の中心部であり、「汲沢村元標」と刻まれた石碑がある。四丁目の平和台自治会館付近を頂上とする一帯は源氏山と称され、『皇国地誌』には、赤城山、丹沢、富士山、箱根、伊豆などが眺められる景勝地であるとの記述がある。北部は戸建て住宅がその大半を占めているのに対し、西部および南部には畑作地が住宅地に混在しており、野菜に加え、ナシなどの果樹も生産されているほか、ミカンを中心とする観光果樹園も開設されている。教育機関としては、保育園3か所、幼稚園2か所のほか、汲沢小学校、東汲沢小学校、汲沢中学校、県立桜陽高校市立戸塚高校があり、医療機関としては生協戸塚病院、西横浜国際病院に加え、複数の診療所を数える。

交通

横浜市営地下鉄線が踊場駅から戸塚および湘南台方面に連絡する一方、神奈中バスにより戸塚駅ー汲沢団地間、戸塚駅ー立場駅間、立場駅ー大船駅間および戸塚駅から国道一号線藤沢方面のバス便が町域をカバーするかたちで運航されている。

民話

猫が夜な夜な踊りに集まるという内容の「猫の踊場」と題された民話が広く知られており、踊場駅には猫のモチーフが随所に使われている。そのほかに伝わるものとして、「まさかりが淵」(市民の森の滝近くに主人公の墓がある。)、「一口藪」(市民の森の小無行橋の少し上流に出た妖怪の話)がある。

  1. ^ 『汲沢小史』石井操編1978 
  2. ^ http://www.totsuka-kurenkai.net/town/04.html