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利用者:かず坊/作業用/片上鉄道DD13形ディーゼル機関車

片上鉄道DD13形ディーゼル機関車
片上駅でコンテナ貨物列車を入換するDD13-552
基本情報
製造所 日本車輌製造
主要諸元
軸配置 B-B
軌間 1,067 mm
最高速度 50 km/h
自重 55 t
全長 13,600 mm (551・552)
14,400 mm (553・555・556)
全幅 2,840 mm
車体幅 2,806 mm
全高 3,849 mm
車体高 3,799 mm
台車 NL-8A(551・552)
NL-8B (553・555・556)
機関出力 600 ps×2
定格出力 600 ps×2 (1,500 rpm)
制動装置 空気ブレーキ (DL14B) ・手ブレーキ
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片上鉄道DD13形ディーゼル機関車(かたかみてつどうDD13がたでぃーぜるきかんしゃ)は国鉄DD13形ディーゼル機関車をベースに作られた片上鉄道の自社発注機である。

製作の経緯

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昭和40年代以前、片上鉄道では貨物列車や客車列車の牽引にC11・C12・C13[※ 1]といった大形のタンク式蒸気機関車が使用されていた。昭和40年代の動力近代化・無煙化の流れのなかで、それらの蒸気機関車を置き換えることを目的にディーゼル機関車の導入が検討された。

1959(昭和34)年8月[1]から新三菱重工三原製作所で製作された試作機であるDD45 1を借り入れ試験を行った[2]が、車軸の焼き付きが多発したためいったん返却し、車輪のジャーナル・ホイールフイットに変更・改造を施し、1961(昭和36)年3月に再度借用したが、トルクコンバーターの故障が多発したため導入にはいたらなかった[1]

そのため、国鉄での実績があるDD13に仕様変更を行い導入したのが、本形式である[2]

導入

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日本車輌製造によって合計5両が製造された。製造年次は次の通りである。

  • 551・552…1965(昭和40)年7月[3]
  • 553・555…1967(昭和42)年10月[4]
  • 556…1968(昭和43)年9月[5]
※554は欠番

1965(昭和40)年10月1日からDD13による蒸気機関車の置き換えが開始[6]され、1968(昭和43)年9月10日で蒸気機関車は全廃された[7]

特徴

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国鉄のDD13との違い

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国鉄のDD13後期形をベースにしている[8]がいくつかの相違点が存在する。

鉱石列車や混合列車を本線で牽引すること[8]を主だった役務としていたため、本線運転では不都合な片運転台を両運転台仕様に改めている。そのため、運転室横の妻板の窓配置が国鉄のDD13とは異なる。また、機関にはDMF31SBをベースにインタークーラーを取り付け過給圧増を施したDMF31SBIを採用している。これは、DMF31SBの500ps (1,500rpm) に対して100ps増の600ps (1,500rpm) を発生させる。そのため片上鉄道のDD13では国鉄のDD13と比べ1両あたり200psの馬力増を実現している[8]。さらに、牽引力の増強のために減速比を4.72と大きく設定している[8]。機関出力の増強を図った反面、運転距離が短いという理由から燃料タンクは1,000L (500L×2) と国鉄のDD13の2,000L (1,000L×2)[9] の半分となっている[8]。台車も軸ばね式のNL-8Aへの変更が行われている[8]

また、通常の汽笛とは別にタイフォンを2個追加してある。そのために運転台床下に空気タンクを設置している[8]

以上が片上のDD13と国鉄のDD13の違いである。それらを表にまとめると下記の通りになる。

片上鉄道[10] 国鉄[※ 2][9]
運転台 両運転台 片運転台
最大速度 50 km/h 70 km/h
機関(出力) DMF31SBI×2
(600ps / 1,500prm)
DMF31SB×2
(500ps / 1,500prm)
変速機(変速比) DBS-138
(4.72)
DS1.2/1.35
(3.14)
台車 NL-8A/NL-8B(軸ばね式) DT113(ウイングばね式)
燃料タンク 500L×2 1,000L×2

片上のグループ内での違い

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551・552は銅製のラジエータ(フィン数:外側7本・内側7本)を採用している[8]。しかし、553以降ではアルミ製のフィン数が外側のみ10本のものに変更した。これは、銅が破断に弱い[8]ため、また内側と外側と2重のフィンの場合、内側の保守が困難[8]であるためである。その結果、機械室長を延長し車体が800mm長くなっている[8][11]

そのほかに違いは全く存在せず、全長とラジエータが異なるだけである[11]

運用

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1965(昭和40)年10月1日からDD13による蒸気機関車の置き換えが開始され、本形式の運用が開始された[6]。鉱石輸送おための鉱石列車の牽引を主に、客車列車の牽引などに使用された。

しかし、鉱石の産出量の減少によって1978(昭和50)年5月15日付けで同系列の小坂鉄道に556が転属し[2]、鉱石輸送のトラックへの完全切替による貨物輸送全廃による影響で、1988(昭和63)年10月31日に553、1989(平成元)年1月31日に555が廃車となった[2]

貨物輸送全廃後は朝夕のラッシュ時の客車列車の牽引が唯一の仕事となり、551・552が1991(平成3)年6月30日の片上鉄道廃止まで活躍した。

注釈

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  1. ^ 国鉄と同形式だが仕様は国鉄のものとは微妙に異なる。
  2. ^ ベースとなった後期型(112号機以降)の数値

出典

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  1. ^ a b 祖田(備前) 1991 pp119
  2. ^ a b c d 寺田 2002 pp120
  3. ^ 祖田(車両) 1991 pp1
  4. ^ 祖田(車両) 1991 pp21
  5. ^ 祖田(備前) 1991 pp120
  6. ^ a b 同和鉱業(資料) 1985 pp241
  7. ^ 同和鉱業(資料) 1985 pp243
  8. ^ a b c d e f g h i j k 祖田(備前) 1991 pp91
  9. ^ a b 国鉄 1970 pp8
  10. ^ 祖田(備前) 1991 pp91-92
  11. ^ a b 祖田(備前) 1991 pp120

参考文献

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  • 祖田 定一(山陰鉄道研究会) (1991). 資料集「備前の里に消えた列車たち」 
  • 祖田 定一(山陰鉄道研究会) (1991). 資料集「車両竣工図綴」 
  • 日本国有鉄道 (1970). ディーゼル機関車形式図1970 
  • 寺田 雄一 (2002). ローカル私鉄車両20年 西日本編 
  • 同和鉱業株式会社 (1985). 同和鉱業創業百年史 
  • 同和鉱業株式会社 (1985). 同和鉱業創業百年史「資料編」 

関連項目

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外部リンク

[編集]

片上鉄道保存会